豊かな経験
京都コンサート、迎賓館の後は溜まっていた仕事を片付けて、御礼が遅くなりました。一年ぶりの参加でしょうか、深い緑の中、ボランティアの方の車で比叡山に向かいました。先生が淹れて下さったウエルカムコーヒーは、一口で目の前の霧が晴れ、視界が広がり鮮やかに見えます。木の香りに満ちる迎賓館で美しい木目のピアノを前にして心を整えました。前半のピアノはペダルをあまり踏む事なく続き、幕間にペダル、ノンペダルの働きをお聴きしました。ペダルなしのピアノの音はダイレクトに身体に響いているのを感じます。京都コンサートの先生のお身体の状態が酷く悪く、まるで高層ビルの縁に立っているかのような状態とは知らずに演奏を聴いておりました。それほど先生のお身体に私達の生きている状態が影響しているのも関わらず、全く気が付かなかったことに申し訳ない気持ちです。webサロンの書込みの言葉、同じ表現やパターン、軽い言葉など、コンサートで新たな経験をしても、言葉が同じ繰り返しでは落ちていっている事をお聞きしました。写真を撮っても同じ写真はないのと同様に、日々人間が成長しているのであれば、それに伴い文章も変化し成長する事が当然とはその通りです。作家は一度自分の表現を壊して、学び文章を創り上げて行く過程がある事をお聞きして、推敲すらしない怠けた表現や、起承転結の文章であっても同じパターンであることに、はたと気がつきました。
自分の記憶は頼りにならないのだから高麗さんがきちんと書いて頂いている事も参考にしつつ、言葉は辞書で調べ正しい自分の言葉で表現すること、乱暴な言葉や嘘の言葉を繰り返し使い表現を固定させる事は、頭も固定されるのでしょう。一朝一夕で、表現方法が直ぐに変わるかは定かではありませんが、やってみます。
幻のコグリョウカフエで頂いた生命の光景の詩は、大切な言葉として身体の中心にあります。まるで万葉集のように深く、この言葉で生きていけると感じ、真の言葉は身体に響いています。言葉を初めて知ったかなような衝撃を受けています。
2021年6月は来週の2回のコンサートで区切りとなります。コンサートが終わった時に何が見えるのか想像もつきませんでしたが、回を重ね気がつくと、身体の中心がずーっと温かく、いのちは先へ向かっています。来週の盛岡に向けて生活と仕事も準備して向かいます。心からありがとうございます。