豊かということ
日々ありがとうございます。いだきで豊かさを学びました。
大変な時でもあまりに幸せで、連日関東、関西でお世話になる日々はあまりに豊かで、今日はSNSで出会った地元の「不幸撒き散らし隊」にゾワッと、ガックリと、きてしまいました。恐ろしいという言葉がぴったりです。感染者の人数を数えると同時にあるんだかないんだかわからない不幸の数をひとつひとつ丁寧に数え、ひとつひとつ丁寧にテレビの情報を噛み締める姿からは骨の髄から染みついた真の貧しさを感じ、思わず「オバケか」と呟きました。本当にそれを素晴らしいことだと信じてやっているのが信じられない気持ちでした。
でも私もいだきに出会わず生きていたら、、、と考えると、自分に嘘をついている自分にも気付かず、自分から目を逸らすために社会の中の不安に目をつけては「俺と同じように不幸でいろ!」とばかりに、たくさんたくさん、正義を纏って不幸をまき散らしたかもしれません。
いまとなっては「信じられない」と感じてしまうメンタルが、地元ではいまでも普通にあること、この「足の引っ張り合い」の感じ、呑まれたらひとたまりもないこと、精神的に豊かではない土壌は、経済的にも貧しさがはびこることなど、一言でいえば「不幸の種を育てている」状態。
私は「自分一人が好きで不幸をやってるんだから構わないでくれ」というのは実際有り得ないことだとこの10年で学びました。必ず誰かに負わせ、誰かを不幸にしている。そういうことは私はいだきに来なければ全くわからず、地元感100%だったと思います。この広い世の中の優れた人間は、一人の不幸を感じ身を痛めないほどには愚かではないのだとわかってからは、壁が崩れたかのように、他者を見て決めつけて見下すようなことがなくなりました。
能力を上げることでこの人たちを変えることや、仲良くなることはできないにしても、10年先、20年先には少しでも土地が豊かな方へ進んでいるように今を生きることをしていくよりない、それが地域のこどもたちのために出来る唯一のことと考えました。