講座の翌朝
朝起きると、お金と価値とが別物としてきれいに分かれていました。ありがとうございます。貨幣は社会を動かすために使う道具、価値が生まれるかどうかは使い方次第、目先の消費は消えていくだけで価値にならない、と考えるようになりました。これから実践です。具体的には予想もつきませんが。
「労働者として生み出され」というのは、母親から来ていることも思い出しました。結婚した時に近所の人が「お手間がもらえてよかったですね」と父に挨拶していたそうで、それを子どもの私に愚痴として言っていたのでした。母の荷物をしょっていた気もします。
好太王様の 透明 についても、よくわかってないと昨夜書きましたが、応用講座直前に読んでいた本に 完全反射のダイアモンド ということが描いてあったのが引っかかっていたのだと、アタマで考えるからわからないのだとわかりました。細胞はちゃんと音を聞いていて 身体の中心に届いています。ありがとうございます。
夜中から胸が苦しかったのですが、今これを書いたら楽になりました。
頭は本当にもう頭打ち。
聖なる身体、聖なる生命の時代。