論理的な美
存在論から死について、ビデオ講演会を有難うございます。
専門性や霊、存在者である在り方によって身体の内側から拘束されている状態では、コンサートの時のような広がりのある良い身体では無く身体の中でも既に分裂し、魂とも一致していかないと言う事が世の中のあらゆる不自由に通じていることを分かります。意志が明確でないだけでも魂は存在出来ない狭い肉体になっているのだと想うのです。
本来、自由を創る意志についてじっとお聞きしているだけで自分の中からも意志が寄り添うように明確になってきました。日常の中でふと現れたなら涙溢れて力が抜け、立って働く事もままならないような純粋な優しい気持ちでした。人間の自由の奥深いことは意志そのものを肯定も否定も出来ることだと考えると、肉体も魂も欲望も理性も人間という特異な存在には全て無くてはならない事なのだと行き着きます。その全てをまとめる深奥に根源から綺麗に広くしていただいている人間の内面があれば、通じ合う精神を以って行動に移行できる事が誠の希望です。意志が生まれても出来ないという矛盾の中で、その意志がいか程の事なのか、意志の本来の存在のようなものに気付いて行けるのかと初めて考えました。葛藤する程敢えて考えもしない事ならば続く事は無いと理解出来、例え打ち消しても打ち消しても消えない意志なら揺るがぬ行動になるのだと分かります。
哲学を学ぶ講座から、人間とは何か、自分とは何か、漠然と考えても何の答えもないことをしっかりと考える喜びを知り論理的に美しい道を経験させていただいています。論理があればどの様な状況でも生きていけることに感謝します。論理がなければ不安と恐怖に思考停止するよりありません。考えている人間がいない日本ならば経済の低迷も当然以上の事と分かります。まして今、講座でお話いただいているような本来的に育つ意志、理性、知性、感性など、魂についてコンサートをしていただく前であれば言葉としては見当もつかない話だったと感じます。目に見えない感じることも無い魂は、現代の時間の外にあり、どんな領域をも越えた豊かさの源泉のようなことと経験します。魂のことを新たにお聞き出来る時となり、人間が本当の意味で進化する時の訪れと認識しています。そのことが新たに登場するコーヒーから経験できる事にも喜びが満ちています。
ビデオ講演会にてデジタルより精密で速い高麗さんの生命感覚や本音のお話を伺っていると、デジタル革命の更に基盤になることが、AIにも勝る生命感覚や心であると感じてなりません。本音はデジタルかアナログかと考えていましたが、どちらに分類されることでもなくどちらの基盤にも在る事と考えます。天命コンサートの恩返しで日本に来たというグジのコーヒーについてお聞きしていると嬉しくて嬉しくて笑って泣いてばかりいます。途中何があったとしても魂の道は美しく、そうでない道は進まないことも明快だと感じます。アナログ、デジタルより更に速いいのちの感覚について今日も教えていただき体感しました。
頭が変わり続けていく日々で、存在論、死について、ビデオ講演会で終わっても良いような満たされた体感から今日は大事なジェンダーに続きます。有難うございます。