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誇りを取り戻す


エチオピアやタンザニアはじめ「支援に慣れた国の人たち」と通じるところがあるかもしれません。忘れないうちに書き込みます。

昨日は東北センターでの存在論と死について、ビデオ講演会をありがとうございました。ご恩返しは「恩送り」とは別で直接本人へ、というお話がありました。まずは「恩を感じる感性」が必要です。経験上は、これは自分を大切にしていないと、なかなか感じられません。自分はダメな人間なんだと心底信じていると、「自分はダメなんだから能力のある人に助けてもらって当たり前」と頭がはたらくのです。「恩義」となるとまた全く別と感じますが、「恩」はまっとうにお返ししたいものです。ステップを踏んで、口だけではなく恩を感じられるようになったら次は、「恩をお返しするにはどうしたら良いのかな」と考えます。どうするのが、自分と相手の健全な線を乗り越えることなく、相手にとって嬉しいことを届けられるのか。例えばいだきを知らない相手であれば、恩がある方へは、どんな(よくない)反応が予測されたとしても私にとっては一番の恩返しなのでいだきを伝えます。

このように段階を踏んでいる私には、先生や高麗さんなど、圧倒的に強く、すごい方々へ対しては、なおさら何を恩返ししてよいのかわからず考えました。それ以外の方へであっても「自分の中には(人間、だれの中にも)人を喜ばせられる能力があり、それを使う(正しく考える)ことで恩返しもできる」というふうに学んだのは最近です。お金を渡せばそれでオッケーとか、お金がないから何もできないとか、どちらでもないこと。(ついでに、お金がないから何もできないと思っているからお金がないということ。)考えた結果は先生、高麗さんに関してはご恩をお返しできるなんて思っているほうが傲慢で、ただ考え続け、一生懸命生きるしかない気がしています。

支援に慣れた国の方も、もしかしたら少し前の私と同じような回路なのではないかなと、アフリカに関するルポを読んでいて感じました。

自分の中に、ちゃんと考えたり行動したりすれば、(失敗してもめげずにやり続ければ)、人に与えられるものがある。人間はきっと誰しもそうなのに、なぜだか(歴史からか)自分たちにはそれがないんだと、自覚のあるなしに関わらず、思っている。それが誇りを無くすということだと考えます。「誇りを取り戻せ」は奥が深いです。

あぁでも・・・じぶんの範囲内で読むとか、そのまま読まないとか、本を、してしまっているなぁとやはり昨日の講座でためいきをついたので、今はまだ見えてきませんが、これもそういう読み方かもしれません。能力上がり、本質が見えるようにと願います。

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お茶室より