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記憶


今朝、東京では雪が降っておりました。
盛岡では言葉の働きをたくさんお聞きしました。人間は言葉をもつ生物であり、言葉によって生きる存在であると知りました。
記録のようにして固定化された記憶すら言葉によって塗り替え、変化させてゆける、言葉が動かぬものを動かしてゆける。

自分の言葉が変わっていかず、同じ枠の中で変わらず嘘をついていることを人が教えてくれました。自分の中で決して認めてはならない事実を隠して、頭の中でつくった言語で嘘をついて生きている状態を変えると決めました。手がかりが欲しくて、応用コースが始まる前に、本屋に行き、小説を探して歩きました。小説の面白さがよくわからず、好きな小説家もいない自分は、読んだことのない小説を読んでみようという気になっていました。

盛岡から東京へ戻る道中、買ったその小説を読みながら過ごしました。前日の死についてのあと、ホテルでひとりで紙に向かって、論理的に書き続けても、ある感情の部分でそれ以上先へいけない壁を感じていました。これ以上認めてしまったら、自分が壊れてしまう恐怖が立ちはだかっていました。道中読んでいた小説は、自分の恐怖を見事に表現してくれていました。恐怖による身体の硬直もそこにある感情も、小説の言葉を借りながら、過去の記憶を追体験しているように経験していました。存在論で、質問者の方に、小説を書いてみればよいのだとお答えになったとき、未来を感じていました。小説のようになら、消したくて封印した、記録のように固定化された記憶を整理できるかもしれないと感じました。

夜も更けていましたが、帰宅するとすぐに書いてみました。記憶の中にある情景、空気感、感覚、感情を、小説なら自由に書いていけました。自然と過去に経験したこと、自分の身に起こったことを認めていました。記憶を意識的に消すようにしたことによって、消えるどころか記録のような記憶として固定化されて、呪縛となっていたことにも気が付きました。過去の記憶は消すのではなく、今の中に取り戻していく作業を経て、変化していくことを経験していると感じました。

翌日の今日、今度は生命の裡を感じました。過去に答えを求めても答えはなく、またそこで止まってしまうからです。生命のうちにはコンサートでイシスの神と出会ったときの体感がずっと続いています。女性とは何かを教えている存在との出会いは自分にとっては大変衝撃的なものでした。そのとき得たその体感は消えてなくなるようなものではなく、新たな自分が始まっていることを感じています。書く作業によって、子供から大人になれずくすぶっていた感情は消えてなくなり、過去のどんな辛い経験も受け容れ、先に向かえる状態へ変わっていました。14歳のときにいだき講座を受講できたことで得た経験は、確かに生命の奥に生きていますが、そのままでは全く意味がないことも感じています。大人の女性に変化することを望んでいます。

ありがとうございます。

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