言葉以前
深い深い聖なる響き、ありがとございます。
感激しながら、電車の中で「スピノザ、努力」を検索したら「コナトゥス」という言葉が出てきました。読んでいるうちに、難しくて、頭がコンサートの経験と違うところに行って動かなくなってしまう という情けない私でした。止まっていてもしょうがないので哲学の方はちょっと中断して、こちらのサロンに書き込もうとしましたが、コンサートの経験を感覚的なことだけでいつまでも書いている自分の状態は つまらない状態だなあ、という気持にもなりました。哲学的思考が働かない頭でも、あまりにも素晴らしい経験をさせていただけるこのコンサート、参加できるこの境遇 ただただ深く感謝です。
非常に微細な 原子の世界のような 神々の働きのような その始まりの世界から、音、響きの中に居させていただきました。身体を、まっすぐ立ててお聞きする音は 、背骨の中を 玄のように 共鳴させてくださり その聖なる世界は 深い至福です。まっすぐな 葦のような芽が 身体の中に 大地の中から 立ちます。胸に広がる響きは 情緒のよう。言葉になる前の 豊かな豊かな 神々の 情緒。宇宙のこころ? 美しいばかり。どこまでも広がり しかし ひとつ。ぴったり ひとつ。自由自在なのにひとつ。
2部はお聞きしながら 先生のお身体を通して聞かせていただいていることを、わかってないのではとか、先生のことを表現できない自分を考えたりしましたが、表現すればいいじゃないと聞こえました。ずっと共に居てくださるということ、宇宙の源からずっとある その「ある」ということを 身体で堪能させていただいている 超スペクタクル。すごいです。
あまりにも素晴らしくて、アンコールの拍手、手拍子、いい調子でやっていましたが、途中モッタリした感じはしてはいましたが、先生が「きもちわるい」と仰ったので、えええ、こういうの気持ち悪いと言うんだと、びっくりした次第です。自分達だけでは絶対気づけない。すごいです。ありがとうございます。
未熟な者は未熟なことしか書けないですが、未熟なままに、そのままで書き続けていくよりないです。今ここから 成長あるのみ。
ありがとうございます。