触れ方のちがい
すべてを拾いきれているとは思っていませんが、
目の前の流れ、
外的な出来事や内面の揺れに対して、
その流れを、丁寧に、遮らないようにしていくと、
見える世界が、まるで違っていました。
ひとりで生きているのではない。
いま、自分は流れの中にいるのだと、
身体でわかります。
もちろん、
自分自身の領域にある感情や責任の境界を
踏み越えられたときには、
以前よりも激しい怒りにふるえることもあり、
内面に起こる揺さぶりの激しさに、
自分でも驚いています。
瞬間瞬間で、
自分の状態がちがう。
日常では、
この生命の流れに触れる感覚は、
どうしても断片的です。
コンサートやキッチンラボ、
コーヒーセレモニーなど、
いだきでの場では、
境界のない空間にいだかれ、
愛に包まれる。
空間と溶け合っていることが、
体感として、確かにあります。
そのちがいを、
ずっと考えていました。
なぜいま、
空間とひとつに生きることが、
日常ではできないのか。
身体感覚としては、
自分が迎え打てる範囲に合わせて、
生命そのものが調律しているように感じます。
日常で調律が必要なのは、
まだ迎え打てる力が、
十分についていないから。
けれどコンサートなどの場では、
「遮らなくていい空間」が
すでに用意されていて、
安心と感じられる空間が、
先にはたらいている。
だから、
感覚を閉じる必要がなく、
包まれる、という体験になる。
日常では、愛は「流れ」としてあり、
音や味の場では、愛に「包まれる」。
そのちがいを、
いまは確かに感じています。
空間と触れたものを内部に溜め込まず、
世界に返し、循環させていく表現力を養うこと。
身体の巡りそのものをよくすること。
食事、睡眠、入浴など、
生活のすべてを養うこと。
どれひとつとして、
省けないのだと分かります。
世界の語られなかった痛みや悲しみ、
届かなかったものが、
身体を通過しても壊れないこと。
そのための、
循環できる力を身につける
トレーニングを、
させていただいている。
いまは、
そう受け止めています。

