解釈
今日の迎賓館コンサート、ありがとうございます。最初の演奏では何かを感じようにも、お腹の底に深くピアノの音が響き渡り、何もかも吹き飛ぶ勢いです。先生は「板んぱを叩いているよう」と仰い、正に叩き壊す体感でした。「解釈」とお聴きし、ハッとします。何か言葉が浮かんでも、それが本当に今生まれて、そのまま感じたものか、記憶や自分の今までのフィルターを通して思ったことか、分からない時が確かにあるからです。自分が苦手と思う人には、特に顕著に自分の傾向が現れます。先生の友達との話をお聴きしながら、途中で話を遮ったり、感情が入り混じると、解釈に加えて更にややこしくなると常日頃感じていることです。また、解釈は不安や恐怖ともお聴きし、ストレートに分からないようにわざと自分が頭で捏ねくり回していると考えれば、思い当たることが多いです。逃げずに、素直にそのまま受け止める人生にしたいです。
その後、高麗ギャラリーカフェでの会話の中、大きな気づきがありました。洗濯タグが付いているのに見る意識もなく、高価な服だからとアイロンは駄目と思い込んでいたのです。この類は沢山ありそうです。普段は見ることでも、思い込みで違うものになってしまいます。気づいてよかったです。今一度、自分を見直します。
高麗さんの書込みにもありましたが、WholeとAllの違いがよく分からず気になっていました。先生から話もありましたが、健康は一つ、体は一つ、命は一つとの言葉は分かっても、WholeとAllの違いがぼんやりとしていて繋がらないままです。明日の応用コースで、もう少し詳しく教えて頂けるとありがたいです。宜しくお願い致します。