覚醒の時、予感
いだき先生、高麗さん、スタッフの皆様
コンサートやカフェ、講座などを開催していただきまして、ありがとうございます。
自分とは、魂とは、いのちとは
いだき講座を受講し、1年以上が経過していますが、いまだよくわからないままです。
それでも、自分の内面の嫌なところなどにたくさん気付くことができ、失敗もたくさんありながらも、少しづつ本来の自分に近づいている感覚はあります。
そして昨日のコグリョカフェにて書いていただいた私の内面は、
「魂導かれ、要へと 魂覚醒の時、予感する まもなく」
いだき講座を受ける前から、自分はこのままではマズい、という感覚があり、魂の覚醒を望みながらも成す術がない状態でした。
ご縁がつながり、それこそ魂に導かれて、いだき講座に辿り着き、魂の覚醒を予感できるところまできました。
昨日も、京都に行かないでおこうという考えもよぎったのですが、近い方から勧められたことで、これは従った方がいいと感じました。京都に着いてからも、私を案内して下さる方がいたり、それこそ導かれるようにして、私の頭の中の意思というより、流れに身を任せていた感覚でした。
私はこれまで、頭の意思や自我がとても強く、その狭い自我によって、無限に広がる魂を封じ込めてきたんだなと感じます。
昨日も、待ち望んだ魂の覚醒が間近か?!と気負いがあったと、この書き込みをして気付きました。それはつまり自我。このままでは、せっかくの好機を逃してしまいます。
うるさい頭には、少し静かにしてもらわないといけません。
静か、と言えば最近のコンサートからは、静けさを感じています。
そこから感じることは、何か特別なことをするのではなく、自分がなすべきことをすること。
一人で生きようとせず、いのちひとつに生きること。
いずれくる「まもなく」に向けて、静かに待ちます。