見て見ぬふりをしないこと
コンサート、高句麗伝説、講座と多くの貴重な機会をありがとうございます。ないように隠されていた内面の光は先生と出会い取り戻すことができました。その光に空間からのエネルギーが直接届く時代にもなりました。先生に質問する、できれば対話できるようになりたいと思いつつ、できないでいる自分は何なのか考えます。どうすればいいですかはないこと、聞いてどうするということもあること、話そうとすることがすべてくだらない事のように感じてしまいます。ですが、この状態はのちの世の人からするとこのような貴重な瞬間を活かしきれない大バカ者と言われそうです。ので今感じていること考えていることを書こうと思います。
今年初めから自殺者が増えていることが気になり調べ始めると、次から次へと気になることが増えてきます。自殺だけではなく、このコロナ禍によって弱い人々が零れ落ちていることも目の当たりにします。文科省の調査によると、各学校から報告があった2020年度の小学生から高校生の自殺者は415人。そのうち、52.5%が理由が不明(不明:周囲から見ても普段の生活の様子と変わらず,特に悩みを抱えている様子も見られなかった。等)とありました。1日一人以上の子どもが命を断っていること、その半分の子ども達は誰にも何も言わず亡くなっているのかもしれないという現実が辛いです。また歌舞伎町に立ち、自らの身体でお金を得る女性はここに立つことで仲間ができ居場所ができたと語っていました。増えている女性の自殺者の中でも、同居人のいる女性の自殺が増えている。この事実からも弱い立場の人たちにしわ寄せがきていることを感じます。コンサートの間の2時間で約5人の方が自殺しているのが現実です。
ずっとネットワークやコミュニティを作ることを考え、最近はネットワーク思考などに関連する書籍を読んでいます。コミュニティをセグメント、ネットワークが人とのつながりとすると、何か社会状況の変化や天災など不測の事態が起こった時、ネットワークの端にいる人から零れ落ちることに気がつきました。その人たちを受け止めるセグメントや仕組みが必要です。家族や地域というセグメントも弱いものになっています。新たな仕組み、ネットワークが必要です。どこで受け止められてもいい、とにかく命を絶つなどのない世の中にしなければならないと考えます。
この世界、歴史は、見てみぬふりをしなかった人たちが創ってきました。見て見ぬふりをすることは卑怯な事。見て見ぬふりをしない、おかしいことにはおかしいということ、行動に移すことが必要だと考える今日です。後藤美香