要
京都での一日をありがとうございます。
周りが静かで、動きが注視されているような今いつになく身軽に動き人間としての存在論に一層深く切り込んでいける機会を頂いています。
京都事務所の存在論にて負い目についてお聞きし、もしそんな大人ばかりだったら子供達にとっては生きていきやすい社会だと初めて考えました。いつもお聞きしている「御恩返し」というお言葉が浮かび、自分にとってはいだきの全国、世界各地全ての催しへの参加が出来ていることに中学の時、感謝と負い目を抱き生き始めたことを負い目という言葉を以て認識しました。望んでも叶わない経験をしているからこそ先駆けるように生きていきたいとはっきり望み、人生を受け止めました。
人に負い目を負わせるということが今の社会かなとお聞きし大きな違和感が腑に落ちます。人のせい、自分の事ばかりでは人間としての当然の気持ちや存在証明と乖離していくばかりです。
ビデオ講演会にて大事なお話を伺い、モスクワコンサートが中止ではない延期になるとしたら、この要の機会への理解をもっと深めて参加することが必要と分かります。どれほど賭けて居られたかを4月開催の中止となった今はっきりとお聞きし、世界の最も要の場所での開催に向かうプロセスは当然スムーズではないこと、それでも紛れもなく世界に必要であることを改めて甚く理解します。日本でも世界に伝搬するコンサートが開催される一回一回が最も重要な機会と受け止めます。人が動けないとしても、心身共に閉じこもるのではなく空間と心が動き出す動きが必要とわかります。
応用コースは、大変な面白さでした。今の社会の事と誰も真似出来ない先生の絶えない探求のこと、引き続き存在についてお聞きしているだけで何とも言葉に出来ない存在が明確になって行く時を過ごします。大いなる存在が働きかける広大な自然の中で、人間は誰に教えられるとも決められるともなく自分の存在を明確にしていけることが本来の存在と分かり喜びが溢れ、講座でそのまま経験します。誰とも比較出来ない存在の豊かな事が、創ってきて下さった新しい環境の中で確実に明確になり始めています。
迎賓館コンサートの時のように何にも規定されていない自分で在るときの命で講座をお聞きでき最高に頭が働いている状態を経験しました。
誰も過酷な道を通らず真理を生きていけることに感謝よりない今です。誠に有難うございます。