KEIKO KOMA Webサロン

要にあり続ける生命


京都コンサートホールにてそのお席に座りながら経験できる事と言ったら、どれほどすごい事なんだろうかと、想像を超えるなどと言う最早その次元などではない経験をしました。
その生命を経験したのなら、今までの在り方や生き方には二度と戻りたくはないと、想います。
人間という生命に生まれて、こういうことを経験できるのが人間なのならば、人間として生まれ今までの人生があったことそしてこの経験を経てこれからの人生があること、全てに感謝申し上げます。
コンサートのメッセージの「全幅の信頼」という一言が私の頭と体の中を澄んだ風のように通りました。第一部のはじまりのピアノの音に、いつも自分の生命にある悲しみがじんわりと心身に広がりました。あぁ、悲しいなぁとそのまま受けとめている時、私の生命にやさしい風が吹いて、私がずっと望んできた光景が胸一面に広がっていました。その光景にある存在は、誰であるのか何であるのかは未だ言葉にはなりません。しかし、ただ一言私に『大きくなったね』という言葉をかけているようで、本当に会いたくて、その言葉がほしくて、私は今まで生きてきたのであったのかと、予想をしていなかった再会があったのです。それは幼い頃、あまりにも自分が弱かった為、この存在を顕すことは出来ないと思い押し潰した存在でもあります。あまりにもひ弱で貧弱で、何の訓練も鍛錬も為されていない私には存在を生かすことなどできなかったのです。強くなれることをいつも望んでいました。この数日はその願いが叶ったのか、命がかかる中での飛躍と成長をし続けられる毎日で、そして迎えたこのコンサートでは、一人一人の人間に隠された能力がまだ多くあるのならそれらを100%活かして生きられる時をみました。このような機会という最大の恵みをいただいています。先生のコンサートでは、その未だ顕せていない能力全てに通じ、活かしてゆける根幹の何かが開かれる経験をします。一番元なる光を取り戻せたのなら、人間のあらゆる可能性が拓かれてゆくことに通ずるという経験であるのではないでしょうかと想います。
『愛』とは…、その答えをとてもひとくくりの言葉で言うことはできないのだと言う経験をしました。しかし、敢えて言うのなら、あらゆることを包括して生まれ続けていること、でした。
パイプオルガンの演奏では、完全にひとつという一致点を見つけました。近いだとか側にというそんな曖昧な言葉では、どれだけでも距離があるのと同じことだったのです。ひとつに、一致しているということでなければ何の意味もないこと。曖昧な言葉に甘んじて、虚しい人生を送ることは終えました。

誠にありがとうございます。

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