表現
先ほどの書き込みは本当に書き込もうと思ったことの後半の部分でした。自分にとってのウェブサロンでの表現を書きたくて、でも消えてしまって書き込むことができませんでした。京都応用コースに参加してカイノスのことを生命で経験しながら存在論には出ることがかなわなく帰りました。理由は経済的なことです。ですがどうしても書き込みをあきらめることはできません。
私がウェブサロンに表現しだしたのはウェブサロンができてしばらくしてからの事でした。書き込みの画面に先生の存在を感じて号泣したのを覚えています。それからウェブサロンも自分の状態も変化を重ねてきました。
脳出血発症して急性期の病院からリハビリ病院に数か月転院しました。半盲と言のわれる見えている状態が焦点を結ばないとか、利き手が言うことを聞かない状態があり、記憶も霞がかかったようにぼんやりしていました。それでもそこでした体験は一番純粋な自分の資質であったように貴重な経験をさせていただきました。当初は読めない字でノートに書いていました。お正月に一時帰宅したときにパソコンが繋がっていてウェブサロンが見えたときに涙が出ました。書き込みの画面から一行書くのに数時間かかりましたがお礼の言葉をようやく入力したことを昨日のことのように覚えています。その書き込みを見て受講生が入院先に来てくれて、たくさんの助けがあったのです。
それからのリハビリはパソコンの入力でした。退院が決まったときには自分の毎日の表現を小冊子として職員に残すまでになっていました。
今の仕事も調査の仕事は入力あってのことです。命をつなぐ表現をできる喜びは、いったんそれをなくしたからこそ得られるものがあります。先生、高麗さんに出会えた命です。今生きている意味を考えて、生かしていきます。
全てにありがとうございます。