表現の場
コロナウイルスの話で持ちきりな毎日です。今日もビデオ講演会サロンにて集う仲間との話は、マスクに続きトイレットペーパー、テッシュペーパが買い占められ、お店にないこと等々、海外での状況や、様々な場面で起こっていることを話しながら、何があっても内面美しく豊かに生きることが全ての答えであると行き着きます。生きる中心、軸が決まっていれば、何が起こっても揺らぐことも心曇ることもく生きていけますことはありがたいことです。外出自粛という空気となっている中でも集う場があり、動いていけることも元気で生きていけます。地下鉄サリン事件が起こってから、知らないうちに法律が変わっていることが多く、今では今まで仕事をしてきたように行うと、法に反することが多くなっています。コンサートのお知らせをする時、時折、法に反していると指摘されることがあります。よく調べると、本当に法律が変わっていて、今までは誰もが行ってきたことも違反になることに驚くことが多いです。次第に、表現の場まで奪われる不安を感じるようになり、どのような状況になっても表現できる場だけは作っておきたい気持ちで、東京だけでなく、京都、東北に拠点を作りました。今になると先生が一番表現できるとおっしゃってくださる迎賓館を作っておいたことが救われたと感じる程、良かったと感謝しています。今日もしみじみと何があっても表現する場だけはなくしてはいけないと感じました。迎賓館があり、東京、京都、東北に各拠点があり、表現の場があります。本音で動き作った拠点ですが大いなる働きかけと感謝しています。
日付けの上では、今日となりましたが、東京高麗屋で、先生が編集してくださった2月18日の三鷹でのコンサートを聴く会を開催させていただくことにしました。毎日、何をすれば前進できるか、先を作れるかを考え、予定を組みます。このCDを頂いてから毎夜、毎朝聴いています。今の時代に最も必要な世界と身をもってわかります。内面が鏡のように美しく生きていけることを経験します。コンサート当日も経験しましたが、目を閉じ、先生の音に心澄まし、内面を感じていると、何もなく美しいように見えた内面に闇が襲いかかる場面が見えました。襲われたら、闘うよりないと構えた時、自分はこの状況から逃れられない人生に悲しみを感じました。闘いの連続で生きてきた先祖の生き方が身に付いていることを改めて自覚し、涙しました。先生から襲われない程、鏡のように内面が美しくなればいいとおっしゃっていただき、希望を見出しました。鏡のように美しい内面となることを日々目指し、心がけ生きる毎日です。最もやりたい世界の平和実現に向かうよりないと行き着き、取り組み方が変わってきました。やり切らないと願いも思いも残り、鏡のように何もなく透明な内面とはほど遠い状態であります。願いも思いも悲願も幻想であったのかと書き言葉により気づいた時には今までの人生を想い、愕然とする瞬間がありながらも、真を知ると力が生まれます。内面を鏡とすると、何もかもが素通しです。とても気づき、発見が多くありがたいです。
2月29日は、私の代わりにこの世を去ったとずっと感じてきた身内の誕生日であることを今年のこの日は思い出します。4年に一度より誕生日が来ない身内に、思わず、人生で最後の誕生日だねと言ってしまったことを思い出し、何故あんなことを言ってしまったのかと気づき、自分の言ったことに口を覆い、悔やんだ日に自ら生命を絶ってしまいました。一族、皆深い悲しみにどん底に落ちました。このことがあり、皆が生きていけない程の悲しみを残す死は、答えでないと生命をもって知ったのです。死ぬことばかりを考え、死ぬ時期を考えていた私は何があっても生きていくと心に誓い、どんなに辛くても生きることより考えずに生き始め、先生に出会えたのです。今年はこのことを思う2月29日です。空間には無尽蔵に注がれる働きかけが見えます。過去に生きた魂総動員で働きかけてくれている今です。生命ある私達は、過去に生きた人の分までも動き、皆が報われていく生き方を実現していく時と考えます。生命あることに感謝し、今より真に人間が人間とし生きていける時代を作っていけないことを身にしみ感じ、危機をチャンスとしていける働きをしていきます。ありがとうございます。
今日は東京高麗屋にて午後5時からビデオ講演会、午後6時から聴く会をさせていただきます。ありがとうございます。