蔣
存在論、応用コースに参加できました。私にとっては存在をかけていました。自明、当たり前の事として問うことをしていないことは、学校教育の弊害。先生が「感じる」と言われた時に自分の内面が音を立てるように変わっていきました。先生と交流することで変わっていく講座。内面の光に呼応するように、光増していく自然。感じてはいてもその感覚を対象化していました。
自分なんか、という世界が崩れ去ります。限界や課題は乗り越えるために露になっている。
今日のコンサートにて。そしてここからです。
今朝は最後に残っていた蔣を入れました。神ともにあることを教えていただきました。