KEIKO KOMA Webサロン

花の香とともに


知らす国(しらすくに)と主人履(うしはく)という言葉を応用コースのあと人からもらったメールで知りました。前者は一つになり治める、後者は対象化して治める。比較する、見るは対象化であり、日本人である自らを失っている状態、みんながやっている当たり前の在り方が日本人である状態ではないというのは一生懸命身に付けてきたのになんたること。大人、社会に出るとは対象化していくこの感じを強めていくべきなんだなとキャッチした子供の頃がうらめしい。生きるために身に付けてきた術が根本から違うと暴かれる。でも私の思いはどうでもいい。世界や環境の問題があるから。

そんなに私の命は痛いか。周りと同じようにしているはずなのに何故。この問いは幼い頃から学び続けた生き方を選び続けているから、いだきで生きる人たちには私の命は痛いのだとわかった。自己否定も学んだ在り方から生まれる。そして自己否定は誇大妄想や歪んだ自己愛をつくる。新生命に相応しくないとは明白。どんな理由や言い訳がそこにあれダメなものはダメなんだ。

何かを抜けていかなければ到達できないところがある。対象化している限りは自分を諦めているので、世界中の様々な問題についても諦めている。自分には関係ないとまではいわないけれど、対象化した人々がやればいいと思ってしまう。日本人である自分を疎外しているからそうなる。

またの生き直しは花の香りとともにできることが希望である。

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東京高麗屋にて-2
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三鷹市芸術文化センター 風のホールにて-3
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鳥のレバーのパテ