良心
戦争と良心
私は正しい、私が正しい、相手が悪い、と考える頭が戦争の根本原因になっているのではないか。
京都にての存在論にて「良心」ということばをいただき光をみました。
ハイデガーの「良心」に関しての箇所をよみました。
自己へと向かって、〈ひとである自己〉が呼びかけられる。そうはいっても、評価の「対象」となりうるような自己ではなく、じふんの「内的生」について、夢中になり好奇心にかられて、せわしなく分析をくわえているような自己のことでもない。さらに、心的状態やその背景となる根拠に「分析的に」口をあけて見とれている自己でもない。〈ひとである自己〉における自己へと向かう呼びかけは、自己自身へと迫ってそれを内面へと追いやり、そのことで自己が「外界」からじぶんを閉ざさざるをえなくさせられるわけではない。こうしたことのいっさいを呼び声は飛び越し、消散させる。それはただ自己に呼びかけるためであるけれども、その自己とは、にもかかわらず世界内存在という様式において存在している当のものにほかならないのである。
共に存在したい存在、ひとつに。
美しいと感じることばに惹かれます。
ありがとうございます。