自由
笑美ちゃんが撮ってくれていた写真を真夜中に見た瞬間、この人についていきたい、と感じ、写真に映る人が自分であったので、またお目出度いことを言っていると笑われそう、と感じながら、自分でも笑っていました。以前、仙台にて、私が歩いていると凄く良い香りがするとおっしゃり、ずっと後をついていきたいと笑って恥ずかしそうに話していた女性がいました。自分の写真を見て、その意味がわかりました。目に見えない世界が見え、人の運命が見える私が、自分の後ろ姿を見て、ついていきたいと感じる人生を生きれていることに、改めて深く感謝します。夢にも見たことのない夢のまた夢の人生とはよく表現させていただきますが、真に夢のまた夢の人生を生きているのだと感じ、この後の人生は、生まれてきた意味も先生に出会わせてくださり、悲願を共に成そうといつも共に在る先祖の魂の悲願を成し、心から願う世界の平和を実現し、存在を顕し生きていく、と、生命の中心に立つ意志が現れました。 東北センターにての「存在論」にて、感じることから存在がわかってくるとお聞き出来、とても希望を感じています。それは、昨日の盛岡での「高句麗伝説」にて、アナログシンセサイザーとパイプオルガンの演奏からあらわる世界は、生きとし生けるものの全ての存在を感じ、真の自由を感じたからです。余命2ヶ月で先生に出会え、薬を捨てた私は、のたうち回る痛みを耐え、苦しんでいる時、子宮から「自由になりたい」と本音が生まれました。のたうちわまる痛みがすーっと引いていったことは今でも夢のようと感じます。それから自由に生きたことがないので、自由とはどのような状態なのか、自由という言葉を生命で経験したいと望み、本音で生きてきました。生命在る存在、万物の存在を全て感じられることは自由と昨夜の「高句麗伝説」にて経験でき、望み続けてきた自由に生きる人生は実現できる時が来たのです。3歳の頃、大空を見、人間が生まれ、死ぬということの意味がわかりたいと望みました。長い人類史から見れば、自分がこの世に生まれ、何十年生きていけるかわかりませんが、生きている時間はほんの点にしか過ぎないと見えた時、人間が生きるという意味は何なのかをわかりたいと切望しました。先生の「存在論」は最も求めていた尊い時間です。「存在論」そのものが求めてやまない存在と出会い、自分が存在することの意味がわかる経験となります。イエスキリストに会いたいと切望した先生の人生のお話は存在が現れています。それも今まで現れ出たことのない大いなる存在が現れています。この瞬間を求めてきたのだとわかります。食べ物が存在を疎外しているお話は、体でわかります。食べ物のことは今、毎日取り組んでいます。北海道の地震のお話からも、「存在論」でハイデガーのことなど話している状況ではなくなったとのことが、甚くわかり、真に現代は危機にあることは生命をもって感じています。危機にある今、一人一人が存在あらわし生きることは、時代を変え、世界を変え、人類史を変えると見え、私は夢にも見ることのなかった人生を生きる事が出来、いよいよ存在を実現し生きていきたいと心から望みます。 昨夜は、地球人から脱皮したとの生命の光景が見えていました。真の自由を経験できたからと感謝します。次は、世界の何処かでコンサートを開催すると夜風は伝えていました。今日の「存在論」で先生が行きたい国、コンサートを開催したい国の事をおっしゃていただき、昨夜漂っていた香りと吹く風と符号し、一人心の中で合点し、喜び生まれました。未知なる世界へ向かい、動き始めます。「存在論」にて縁のお話をしていただきましたが、自分の気持ちや意志を超えて縁は生まれます。人類を救済しようとはたらきかけてくれている、おおいなる存在とつながり生き、動き、目指すところに辿り着けますようにと願います。その道は希望であり、ときめき生まれます。ありがとうございます。