自由の風
「女性性」という言葉は、私にとってはいつ聞いてもヨソヨソしく虚しい言葉でした。それは、外側から作られたものであり、人工的でした。作り物とはこのことと、今日わかります。子供らしさの方が、女性らしさよりもまだ自然な感じがありました。
「ジェンダーを巡って」に参加させていただき、女性性を失われた歴史を紐解かれ、この瞬間から人間とし生きる歴史が始まる時に私が生きていることは、生きている姿を知っている祖母たち、母の境遇を考えるだけでも、すごいことだと感じます。何年もの間続いてきた意識に登らない抑圧。身についてしまった不自由な生き方。全て当たり前だと感じて生きて、諦めてきた歴史。その歴史が方向を変えようとしている瞬間に居ることができる。求めることすらできなかった瞬間です。
ウィーンホールのコンサートでは、高麗さんがメッセージを読まれるアナウンスの声が今まで聞いたことのない、とてもとても透き通り、柔らかく、優しい声、天からの声でした。今までとは全く違う声に聞こえ、気のせいかと思いましたが、二部も一部と同じく今までと違う透明な声でした。心洗われ、先生の演奏が始まりました。美しいパイプオルガンの音、ピアノの音は、私と一つとなり、体の中に風が吹き、水が流れ、波が打ち、草原をかける心地よさを感じ、天界をこの音で地上に表しておられるように聞こえ、胸に吹く風は自由を運んでくれました。音と一つである心地よさ、気持ち良く体は天を舞い、雲と一緒に漂っているようです。女として生まれ、女として生きていける自由が訪れたことを、高らかに世界へ知らせる鐘の音。青空に聳え立つ教会の鐘が、鳴り響いているような体感です。
コンサートが終わり、明日のコンサートなら来れるように調整していた女性の方が、お越しになれる連絡が入っていて、本当によかったです。今日初めて参加された方々の中で、35歳の男性は何度も涙が溢れて、ずっと聞いていたかった、とおっしゃっていました。
本当に自由に生きられる時を作り続けていただき、言い尽くせない感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。