自由なる生命の曙
とんでもない秘密を聞いてしまったかのような、そんな体感で、迎賓館コンサートでの経験を書き込みます。ひとりひとりが過去から受け継いだ殻のようなものを脱ぎ、真に自立した状態である人間の生をみました。おそらく誰もが、そのおおわれたものの中で生きてきた人類史の中で、人間ひとりが何にも邪魔されず生きられる人で在りました。過去から受け継いだ運命というものがない命は真に自由で、この空間を生きる命でした。そしてある時、生命と生命との出会いが起こり、二つの生命はスパイラルを描き、果てしなく上昇するのです。
これが起きないのが出会いの錯覚というもので、相手の殻に収まったり、相手を自分の囲いに収めたり。これらは、人間の根幹である男女の関係はもとより、それだけではなく、この社会で生きる中での人との関係のどこにでも云えることであると考えます。とにかくそれらはこの空間の中でのスピードが落ち、止まっていたりするばかりか、ゆっくり下降していたりする。お互いの速度を落としていたり、上昇するエネルギーをおさえたりしているのは完全に治すべき間違いであるのに、それを自覚できていなかったりする。そうした判断のミスを起こさせる永い間の人類史は何だったのだろうかと唖然としながらも、しかし、本来の人間の出会いと、その出会いによって起こる生命エネルギーの強さは未知へ向かうこれ以上ないほどの強さであったのです。
それから哲学的で学問的な音の先に辿りついたのは、歴史の生まれる真でした。国の生まれる秘密に触れる音に、震えと共に起こる感情が、私の生命の在り処を示すようでした。ひとりでここにたち、生きているわけではない、歴史の真ん中でありそして中心にいる今は、使命を超えている人生であること。その人生の豊かさは、生命が生き続けてきた永い時間のすべてが包括され生まれ変わる、新しい時代への切符のようです。
お誕生日のコンサートを、誠にありがとうございます。