KEIKO KOMA Webサロン

自然


3日間の高句麗伝説を経験させていただいて東京へと帰ると奈良より暑い東京の夜になっています。奈良高句麗伝説は終わって外へ出ると本格的に雨が降っていました。駅へと歩くわずかな距離のなか、ふいに涙が溢れ、その涙から未だ感動は胸のなかにあり続けていることに胸はさらに感動でいっぱいになりました。

奈良の高句麗伝説は古の飛鳥と高句麗の魂を語られる高麗さんの声に、高句麗伝説に集う一人一人はまさに先祖の代表であることを自覚します。奈良高句麗伝説の先生の太鼓は、大太鼓に移られたときの右腕から鳴る一打の強烈なる音に、隠れた悪が身体のなかから炙り出されていくようでした。一打一打の的確な神業に身体の外側におおわれていたものも剥がれ、高句麗伝説終盤には無垢な自分本来の生命が外にも現れているような感じがなんとなくするのでした。

そしてアンコールラストの歌に、一変に心がパーッと明るくなり、たのしいことこの上ない笑顔になりました。

無垢なる生命は感動は感動とすなおに現れ、すなおによろこべる純粋さには透明感を感じます。

3日間の連続の高句麗伝説を経験させていただいて、今ある気持ちは、すべてにおいて自分は自分であるだけ。そのままの自分を何をやるにしても現し、やることをやっていく。

東北の高句麗伝説がさらに凝縮され、凝縮されたらとても自然な気持ちになっています。
何かをやる。というよりも、自分であればいいだけ、そこには全部あるから。というような気持ちです。

次は、狛江です。。

神あらわる至福の高句麗伝説をありがとうございました。

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ウラジオストクにあった高句麗の壺です
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