自然
一言一言の重みが、数カ月前、数年前よりもずしっと身に染みダイレクトに響く先生に、悲しみや皮膚にひりつく痛みが解かれていく東北の応用コース、先週くらいから感じ始めた眩暈は「時間」に嵌まろうと自らしていくときに起きるとわかり、安堵しました。新しい自然は時間がなくて、あるのは関係だけ、というところへ行くと、眩暈が止みます。命助かったと感じました。薄皮を何枚もはがされるような日々、「まだまだごまかせる」と思っている真と外側の自分の「間」に入っているもの(自分)が鬱陶しく、これが感性の良い方を不快にさせている現実も良くわかる中、どんなに力まかせにそれらを剥ぎ取ろうとしても、穴らしきところに鍵を刺してガチャガチャやってみても動かず、「慢心」ともいえる存在をわかりながらも途方にくれる日々でした。昨日のコンサートと今日の講座でそれらを整理していただけたと感じ、いだきしん先生の常識を超えるおはたらきを目の当たりにします。
闘いの極意、力を抜くことを伺っていましたが、今日は平常心、リラックスはそれとはまた別であることをお聞きしました。真剣に立ち向かう中で姿勢を正し力を抜くという状態を身に付けます。その中で今の時代は、なのか昔からなのかわかりませんが、時間の概念なく素粒子がそのままくる状態、約束事の記号として時間は理解するものの、あとは時間をやめてしまう、あるのは関係だけという、新たに生きる術を伝授していただき感謝よりありません。ありがとうございます。