自己肯定
「自己肯定感」というものについてのある方の見解を読み、まさにそうだと思い当たることありました。つまりいまの時代、自分の存在を「自己」で肯定しているようでいても実際は結局誰か他人による「承認」がないと肯定はできていないということです。その「承認」とは、「命あり生きていることが尊い」という状態とはかけ離れていて「何ができる」「価値がある」「人より優れている」という、命中心の考え方とはまるで次元の違ったものに由来しているのだということです。振り返って自分のことを考えても、自己肯定しているつもりでいても、オミクロンの蔓延によって、急激に感染者が増え、そのために翻弄されている行政に、私個人も翻弄され思考停止になり自己否定が始まるという苦しい状態を味わっています。そんな中、配信ではありますがコンサートを聴かせていただきました。どこまでも深く広く、命の源に直接語りかけてくださる音に身を任せながら、ふと気づいたことがあります。私はずっとずっと前から、先生の音を聞くと、この上ない至福と共に、なぜか「死」を身近に感じてしまうということです。これは一体どういうことなのか、今朝、初めて疑問に思いました。死にたいわけでも怖いわけでもないのですが、死するときの自分を毎回リハーサルさせられている感覚なのです。とここまで書いて、生きることと死ぬことは深いつながりがあるのだから。という結論に至りました。死を実感すること。それによって生を実感すること。そこから生まれる、尊い生への理解。それこそが自己肯定の始まりなのかもしれません。2300年のうちに人間が失ったものを、先生とつながることによって取り戻しながら、尊い人生を歩ませて頂きます。まとまりのない文章で申し訳ありません。日向灘にて昨夜遅く、震度5の地震。住まいも揺れました。世の中は不安と恐怖に取り巻かれているような気がします。自分の心の中の光を取り戻したいと切に願います。