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自己はない


昨晩の存在論を心よりありがとうございました。
自己とは何か、自己はあるのか、ないのか、という問いから始まった存在論でした。
私は自己は実体としてはないかもしれないけれど意識の中にはあると思いました。講座が進むにつれ自己と思っている自己はすでに幼児のうちに周りの大人によってや社会の慣習によってつくられ規定された自己であること、また幼児から始まり大人になっても、自分自身で規定した自己を演じていることが分かってきました。
中盤、「無人」とおっしゃり自己はないことを教えてくださり、生命は自由へと開放されていくことをわかりました。何もないから何にでも変化できる人間の可能性、現存在としての可能態を教えていただき、希望が内から生まれてくることを経験しました。哲学で無人といっても、人間には歴史を背負い生まれてくるという生まれつきの運命があり、哲学の前提にある無人は仮説により過ぎないという先生の問いが正しいということは、自分の生命をもって経験させていただきました。内面的に何もなくなっていく、、その先生の言葉の響きからその状態がどんどんとそのまま生命に経験されていきました。あるものが消え、なくなり、まだあるものがなくなり、消え、そのプロセスはまさにいだき講座2日目を再体験しているかのようでした。何もなくなったときに出会った光、空間とひとつにある幸せ、その美しさと、愛を経験したことがそのまま蘇りました。何もない生命は愛し合えることをわかり涙が溢れました。運命が開放され何もなくなっても、過去の経験により身体の中に残ってしまった感覚があり、それによって支配されてきていることも、この度解放へと向かっていることを感じました。その残骸はわずかな嘆きとして感じていきましたが、嘆きも過去のことで、何もないという先生の声の響きとともに消えていきました。

こうして経験を書いている今は生きている実感があり、中身が充実していく時間を経験しますが、去年と同じに仕事をやろうとするとき、やはり虚無感に襲われ鬱々とし眠気に襲われていきます。何をすれば幸せによりよく生きていけるのかを問う新年です。自分の中にあった挫折感、嘆き、恨みをやっと乗り越えられるときに来ていることを感じています。何をやれば世界に通用していける自分となれるのか、このまま埋もれて終わってしまうことはできないという気持ちが内から生まれてきます。何もないから、何でも変化できる、人間のすばらしさとおっしゃった先生の言葉が生命の内に鳴っています。どんな過去であってもなくし、何もなくなれば、どんな自分にでも変化変容していけることをわかります。美しくなりたいと望めば、女になりたいと望めば、そうなっていける可能性がある生命であることに希望を感じます。
心より感謝いたします。
ありがとうございます。

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こんばんは。