自分を殺すことに疲れた
なぜなら、体験と言葉が一致していないように、これからもいかないように感じるから。
学校の授業を受けていた時、たとえば歴史の授業を聞いていてもまるでピンと来なかった時のように。それでも自分と関係すると思えないことを頑張ってやらなければならないつらさ。
このつらさはいつ終えることができるのだろうかと考えると悩みが尽きないでついジタバタしてしまう。
というわけで、京都、応用コースを経てまずは言行を一致させたいと考えるようになった。一致させたいというのはさて置いても、外に出せないのはおかしいんじゃないかと考えるようになった。
「どうせわかってもらえない」
根強くあるその考え方を癒してあげたいし、人のそういう気持ちもわかってあげたい。
我慢もそろそろ限界のようだ。
人間らしくない今を変えたい。被っている皮を脱ぎたい。
「どうせわかってもらえない」と、人に興味がないふりや冷たいふりをしているとどんどん頭が痛くなってきてしんどい。
というわけで、仙台行きも決めた。一度きりの人生がこれでいいわけがないじゃないかと静かに呟いてしまう。
冷たくしていた祖母にも、一緒に京都へ行かない?と誘ってみた。