自分を問う
狛江での応用コースをありがとうございました。
最近、目標の数値化や生産プロセスの見直しなど、いかに「見える化」などの改善を経営に取り入れることができるかに頭を巡らせていましたが、今回の「見えない世界」のお話しに初心に立ち返りました。
「対象化」のお話しは、以前から自分にとって大きな課題と感じていました。特に年頭の聖母マリア様のお話しのなかで、男の「見ている」という状態がイエス様の受難の時から現在までに受け継がれているということは、何としても解決していきたいことと受けとめています。
晩年のハイデガーが見出した4つの要素に、「天空」と「大地」が含まれていることはとても意外でした。高名な哲学者でも、行き着く先は、普段から誰もが目にしている「自然」にあるのか、やはりそうなのかという気持ちです。
幼いころから自然の不思議に魅了され、「自然をわかりたい」という気持ちがいつからか芽生え、それは今でも続いています。自然の中に居る時間が比較的長い農業を仕事として選んだ理由も、そのひとつです。ただし、ふと気づくと日常に埋没してしまうことがよくあり、存在却のお話しに耳が痛くなります。
「自然をわかる」という状態はどのようなものかよく考えます。農作業をしていても、強風の原因が気圧の配置にあることが科学的にわかることはとても嬉しいですし、仕事の役に立ちますが、自分の問いに答えてくれることはありません。その時の風そのものは何なのか、ことばになることもごく稀ですし、日常に慣れて気にしていないとただ通り過ぎていくだけです。日本では神と人が一体化するというお話からも、そもそも自然のことは、わかるという状態がないのかもしれませんが、例えば極北の地で経験したオーロラの美しさは、いくら科学的に説明されたところで、あれは一体何であったろうか、との問いだけは残り続けます。
以前より、縄文人やアイヌ民族などの先人たちが自然をどのように見ていたか、そのことを知りたくて遺跡や資料館を訪れたりしてましたが、最近は神話のお話しを頂いてから、神話に対する見方ががらりと変わりました。迷信も多いだろうと考える節がありましたが、特に今回お話しにあった生命を殺して次の生命をうみだすという死生観についても、現在の社会の仕組みの中で生きてきた自分にはわからない、先人たちの知る普遍的な何かがあることだけはわかってきました。それもコンサートでの経験を重ね、体が変わっていく中でわかってきていることだと感じています。
微生物などの生きもののみならず、大地や天空と深く関わる農業にはわからないことが山ほどあります。まだまだ、物質的な目で見てしまいます。それでも、先生でさえも「まだわからないことがある」と仰る、その探求をされる姿勢に学びながらも、自分も何としてでも農業を続けていきたいという気持ちでいます。
ありがとうございます。