自分の姿
迎賓館コンサートでの衝撃が大きく、どこか異国の地の長旅から帰って来たかのように疲労困憊でした。前半の先生のピアノをお聴きしているうちに、流れる川の砂底を一生懸命攫っている自分の姿が、突然見えました。攫っても攫っても絶えず溜まる砂底を、這いつくばるようにして必死で攫っていました。まるで自分の人生の姿を見ているかのようです。やってもやっても溜まる砂の作業に「まっぴらごめん」と叫んだ時、突然次元が引き上がりました。まるで見たことのない光の世界の中では、身体中の余計な力が抜け空間と一つになっていました。何が起こったのか分からないまま休憩時間となりました。そして席に戻るや否や、先生からの言葉が自分に言われたかと思って飛び上がるくらい驚きました。「このまま繰り返していたら倒れる」正に、ここ数日ずっと考えざるを得ない自分の状態であり、先程見た自分の状態そのものだったからです。「やっぱりそうなんだ」と、一言一言先生の言葉をお聴きしていました。「日本の神と共に生きる命が分かる」「自分の命が発生した時の記憶がある」先生の言葉に、涙が溢れてぼやけて見えます。分かりたいと強く思いました。
「書込みの内容が、整理して書いている」と仰った言葉の意味が、よく分からないままでいます。本当は分からないのに、分かったように整理してしまっているということなのでしょうか。一つ一つ分かっていきたいです。アノミーのお話もありましたが、コロナ禍で仕事を失い、困窮した方たちの報道を見ていると、正に仰る通りだと空恐ろしくなります。耐えきれないところまできてしまっているのに、まだ耐えようとしている姿が、どこか自分と重なって見えます。「命に関わることです。無理しないでください。」と呼びかけるニュースキャスターの声が、とても遠くに虚ろに聴こえます。迎賓館コンサートに参加させて頂いたお陰で、命拾いしたと胸を撫でおろしている今です。何もかも紙一重の世界で生きている中、先生にお会いして分かっていく事が何より大事と、つくづく分かる今です。オンデマンド配信で、何度も聴かせて頂けることが、何よりありがたいです。ありがとうございます。