自分の人生
泉でのコンサートで自分の内に起こった事、突然の自問の中で恐ろしいスピードの潮流の真っ只中にいた事、身体の中心から何かが大きく飛び出すと同時に姿勢を正し、全体と一つに無となった事は、その後の高麗さんの書込みや高麗chを何度もお聞きする事で、死霊や黄泉の流れが変わったと、ようやく自分の中で分かりました。応用コースに出かける前に分かり、よかったです。また、北上でのコンサートの翌朝に、「3月21日」と強くはっきりとした声が聞こえましたが、応用コースでの先生の言葉からも一言一言が身体中に響き、逃げ場がない、猶予もない今と分かります。今まで人生が開けたか? 上手く接点を見つけて生きていなかったか? 弾丸のように胸に刺さり響きます。アントレプレヌールサロンでは、もっと容赦しないと聞こえ、夢で聞こえた声は先生の声だったかと身が震えます。長い間、ずっと言い続けてくださっていた事をないがしろにして、のらりくらりとしていたつけが回り、今になってじたばたしています。たった一人の少女から始まった抗議デモの事も初めて知り、ネットでインタビューを拝聴しました。大人として恥ずかしくなります。真剣に考えておらず、言い訳じみた今までを問われているようです。プルーストの話もありましたが、先日突然蘇ったチェーホフの「三人姉妹」を 読みながら、戯曲のセリフの言葉にドキリとするものがあります。とにかく曖昧にせず、言葉一つとっても分かった気にならず、そのままいだき的に読みたい今です。先生が話してくださる話のすべてが、今までとはまるで異なり、身に入ってきます。頭に刷り込まれ、身体に沁みついたものを、先生がお祓いしてくださっているかのようです。一人一人、自分の人生。ありがとうございます。