脱出の機会
コンサート前日はほとんど眠れずに向かいました。睡眠がきちんととれなくなってから一年以上になりますが、熟睡することがなくなり、眠れても、すぐ目が覚めてを繰り返しながらの毎日ですが、基礎体力がどうもあるみたいで、どんなに眠れていなくても、昼寝ることはありません。やるべき事はやれる体力があるのはこうして先生のコンサートや講座で先生にお会いできる生命だからとわかっています。昨日のコンサート前夜は体がすぐ暑くなり、エアコンをつけていても眠るには汗ばむので寝れない状態でコンサートに向かいました。
一部のメッセージ、脱出とお聴きしたときには喜びました。ですが、眠気がきて、ときどき頭が垂れました。休憩のときはなんだかふらふらで、体の中心がわからなく感じ、斜めに歩いているような感覚になりました。
二部も少し眠くなったときもありましたが、先生の演奏のダイナミックさに目を見張りながら、後頭部がたえず解放されていくのを感じていました。監視、管理とは、いちばん嫌いな生き方です。頭を押さえられるような言動や態度を感じると我慢ができません。最近はますますその傾向が強くなり過ぎているのを自覚できてはいますが、自分も気に入らないとやっているのも自覚しながら改まっていないのです。後頭部が悪いわけではないけれど、ここが問題と、起こる反応でも自覚します。呪術されるように頭を使っていると、きちんとわかることが、ここが脱出の出口です。コンサート後半では深い愛に感動極まります。涙が自然に溢れます。
先生のコンサートは日常のなかで当たり前のように自然に変わっていけるのが本当の希望です。
明日は三鷹高句麗伝説に参加します。
いつも、ありがとうございます。