胸の涙
被害のひどかった人吉市にボランティアに行きました。熊本地震よりも酷い惨状です。私の主観だけでなく、実際に現場を見た益城町在住の方がそうおっしゃったことでもその被害の甚大さはお分りいただけるかと思います。震度7の揺れに二回見舞われたあの益城町の人でさえ目を覆う惨状だという事です。東日本大震災のあと宮古市に参りましたが、その時に見た様子に匹敵しています。あの大きな津波と同じくらいの威力で故郷の川が氾濫して、泥水が小さな町や市を襲いました。また熊本地震では、地震から半月後にはコーヒーの「炊き出し」に避難所を回る事も出来ましたが、今回は未だコーヒーどころではない事も、被害の深刻さをお分りただけるかと思います。この半月ずっと胸の痛みが続き、感じるのは胸の中を涙が流れ続けているという事です。民間の団体の拠点で一日中仕分け作業を黙々としてきました。生活物資を貰いにいらっしゃる被災者の方々のなんと礼儀正しいことか! 例外もおられるとは聞きましたが私がおりました昨日は我先に欲張って持っていく人は皆無でした。ティッシュのひと箱を手に取り「これ頂いて行ってもいいですか」とお聞きになるのです。「もっとお持ちになってもいいですよ」と申し上げると「では、もう一箱・・・」と遠慮がちにおっしゃるのです。小さな子供二人を連れて入ってこられた若いお父さんは、子供に「お父さん、今日お仕事は?」と聞かれ「なくなっちゃったんだよ〜、球磨川のせいでね〜」と、かすかに歌うようにおっしゃるのです。胸の中は涙でいっぱいでした。食器から家電製品から家財道具まで生活の「全て」を失いながら、静かに耐えておられるその姿に、悲しみとともに神々しささえ感じ、人間ってなんなんだろうか、、、国はいったい、この痛みをわかっているのだろうかと、また胸の中涙を流しておりました。
今日、高麗さんや皆様の書き込みを拝読し、応用コースで「基」というお話があったと知りました。直接お聞きしたわけではないので理解はできていませんが、私が今いる、取り巻かれている状況に、自分の基はあるのだろうか、感性も何もかも鈍らせてしまっているのだろうか、それとも・・・と、ぐるぐる考えています。「好きなこと」ではない事をしている気がします。しかし「そうせずにはいられないこと」ではあるのです。就寝して2時間後には目が覚めてしまい、眠れないままに書かせて頂いています。「眠れない」事が、鈍くなっていることの証拠かもしれません。
胸の涙は今も続いています。・・・とここまで書いた途端、こんな言葉が浮かんできました。「人に期待をし、国に頼り、自立を怠っているから、この体たらくなのだ」と。やはり自分の弱さなのだと思います。弱くては生きていけない。今も泥の中で戦っている被災地の方とともに、強くありたいと思います。
つらつらと書いてしまい申し訳ありません。書かせていただきありがとうございました。
もう一回、眠ります。