胸の奥がひらかれ
11/1「高句麗伝説」に続いての京都コンサートを、ありがとうございます。朝早くに突然胸の奥から言葉を発し、はっと目覚めました。「真の自分があらわれる」と。真の自分とは言葉では何かわかっているような気でもわかっていないのです。少し前から、起こる出来事からも胸の奥が痛み「高句麗伝説」の後も続いており、何なのかと考えていました。11/1の途轍もない経験と大きく変わった何かを身の裡に、コンサートに身を運べる巡りとなり感謝し、心して向かいました。
コンサート前から身体、胸の奥が熱くてなりません。一部、「本質を活かす」とのメッセージ、わかりたい気持ちで一心にお聴きしました。雑念もよけいなものもとけていき、心地よいながら、熱い血がたぎり、汗が流れるほどです。「本質」からの情熱を燃やし生きていきたいと望みます。
二部は先生のピアノ、パイプオルガンの音が天から降るように注がれ、このひろい世界で生きていきたいと感じます。コンサートや大事な時に頭がしんどく申し訳ない状態になってしまうのは、自分の頭の中がかたく自分勝手でおおいなるはたらきをうけいれてないからとふと感じました。音に集中し、身のうち熱いままに、感動と感謝湧き、胸の奥から叫ぶようにして閉じていた何かがひらかれていきました。アンコールまで感動の渦のうちに、ただただ心よりありがとうございます。
高麗さんの書き込みを読ませて頂き、コンサートメッセージも載せて下さり、感謝します。繰り返し読み、経験させて頂いた生命で深めながらこれからに向かいます。
ちゃんと表現できるひとが羨ましいような気持ちが正直ありましたが、「他の何ものにも代えられない一人の生命」とのメッセージをあらためて受けとめました。ひとも自分も唯一の生命であり、かけがえのないコンサート、経験させて頂いたことを自分の言葉、動きで表現し、もっと伝えられるようになっていきます。
大事な機会を、ありがとうございます。
天田敬子