聖なる魂
魂は永遠に生きる、高句麗伝説で何度もお聞きしているこの言葉を、ヤマハホールのコンサートでこの度も経験させて頂きます。経験を振り返れば、瞬間を経験した胸の高鳴りは嘘ではなく真であることを今も知らせてくれます。ゼロからのスタートにおいて分かった真実は、それを知って、安心するためではなく、先を作る力なのだと言葉に置き換えます。先生のコンサートは時空を越えて、魂の存在が蘇ってきます。そして、私はこの度も、永遠にともにある魂の存在に、語りかけられることによって、魂の悲願と今生きる私は魂の気持ちひとつに人類の未来をつくるため、生まれたことを知るのです。ピアノの音を繊細に聞いていき音が語りたいことを聞いていくと、先生のことをよく知っている魂が内にいることを魂の語ってくる言葉ででわかってくるので、驚くのです。以前からもうすうすは、わかっていましたが、それなのに、ともに生きる魂に失礼なことばかりしていて日々、申し訳ない気持ちです。魂の気持ちを受け入れ、「世界を平和をつくりたいんだ」と聞こえた、先生のアンコールのピアノの音から聞こえた言葉と同じように、魂とともに平和な未来をつくるより、自分のこの度の人生はないことを認め、ここから新しくスタートさせて頂くコンサートだったのだと感じます。昨年は大きな宗教にやはり入っていると、後から分かったある方の所での仕事の契約から抜け出すことが困難でしたが、やっと離れることができたことで、頭も体も縛られることなく、自由を得られた恩恵がこの度の特別な経験だったと感じます。ピアノの音から見える光景はその人の生命を守り、未来を創れるように導いてくださる光景なのだとこの度の一部の光景から感じ感謝します。1/2の京都コンサートでは娘が笑ってスケーターボードに乗っている光景がみえ、なんだろうな。。。と。最近子どものネットを見てませんでしたが、久しぶりに見ました。お客さんとの会話で、「子どもにはやりたいことやって生きてくれてたらそれでいい。」といっていた矢先、A新聞の元旦のものに、娘が写真入で載っていたことをネットから知りまして、とんとん拍子に世の中に出てくるこのお働きは、おおいなる存在のお働き以外ない、と考えます。また昨年は、12/26の奈良高句麗伝説の頃、兄嫁が車の5台玉突き事故に巻き込まれ、幸い身体は無事でしたが、車が大変だったと言うことでしたが、生命は守られていたことに感謝します。色々なことが、コンサートの影響力を発揮し、世の中に伝播しているのだと感じます。一人一人が経験し内面変わりますと、世界に伝播していき、平和な世の中が確実に作られていく、高句麗伝説はもうすぐなので、何がおこるのやら、身を引き締めて、日々生きていくことを心にします。起こることを回りのせいにしがちな頭ですが、真実をわかり、内から出ることであることを認めよと言わんばかりです。ありがとうございます。