聖なる星屑
胸に広がる聖なる星屑は、過去の細胞のひとつひとつを掃除し、新しく生まれ変わるよりない時を迎えます。フレッシュに自分を晒し死に物狂いで限界を突破しようと生きている方を身近に感じていると、他で遭遇する内面滞り腐敗し悪臭を放っている状態もよくわかるようになり、自分はどっちで生きたいか、生きるか、と選ぶのであれば答えは当然決まっています。淀み腐敗している臭いのわかるようになったのは驚きました。モヤモヤしていたところを紙に書き出して、わかるようになりました。こうしてはいられない、と連続の気付きの中で感謝の気持ち湧き出ます。自分に嘘をつかずに生きることは必須と覚悟を決めるのでした。
とてもとてもおいしくコーヒーを淹れて下さる方々との出会いの中、自分にも、ビッと軸を決めぶれない状態が急務であると感じます。吹けば飛ぶような、押されればすぐに前のめりに転んでしまうような、軸のない現在の自分の状態は目下の課題です。昨日参加させていただいた渋谷のコンサートでは、毎回そうではありますが、新しい光の学びを全身で浴びました。そしてたくさんの方がコンサートに参加されていることをわかり、改めて、自分一人で勝手に生きてはいけないこと、勝手にわかったつもりになって人を振り回したりしてはいけないことをひしと感じるのでした。お一人お一人には、現在の私のような吹けば飛ぶような軽い状態ではわかりようもないくらいに深いドラマが、それぞれ全く別の、二つと同じものはないいのちのエピソードが、存在しています。それを受容なさるいだきしん先生、高麗恵子さんにお会いしに、全国から集うのです。その深さ、偉大さを、よくわかり、変わっていくことを真に望むのでした。人のことも自分のこともわかる、いのちやさしい状態で生きることを。ありがとうございます。