考える
いつもありがとうございます。地元での滞在中です。ほぼ100%世間側でこれまで生きてきた私と母親は、親子の縁なので、私が突き破って外へ出るにつけ、母も本質的なことをわからない人ではないため連動して変化しているようです。母のお腹の中にある叫びを私が代弁して気が違ったように叫んでしまったりするのですが、実際の私は40も手前なので、叫んだ内容について体の感覚をもとに分析することができ、それを母に伝えます。が、これではまるで私が気が違った人のようにご近所から見られてしまいますので、何かしらもう少しうまくやれないものかしらと考えます。私の声が相当大きいためです。
父もけっこう変化していますがもしかすると女性より遅いかもしれないです。お正月の三が日地元を離れて良いものかと懸念します。親戚の集い、新年会など、世間で生きている人にとっては楽しみにしている人との繋がりが大きく断たれていますので、こんな悲しいことはなく、自分は何をすべきだろうかと考えます。
この感じは久々だ・・・と昨夜感じた、「嘘をついてもなんでも良いからその場をしのぎたい」という、IQが3~10は下がっていそうな気持ちは、地元に戻るとよく感じます。自分にまだ少しでもあるから、似た因子が多い地域では集まってきて増大するのかもしれません。どこの地域もその土地の重みがありますが、良いところも地域それぞれありますので、良いところを活かしていきたいものです。
昨夜は教室を閉めようとした時間に20代の男子が入ってきました。酔っぱらっていたのでお水を出しました。先生の音楽を聴いて、「じゃあ帰ります」と言って帰っていきました。電気がついているところがほかに無かったので入ってきてしまったのでしょう。防犯などもこれからはこれまでより考えないといけませんが、基本的には京都事務所で先月お聞きした「大人が生活をちゃんとする」ことを大切にあまり境界線をつくらず若者やこどもと関わりをもっていく方針です。
自分に残っている悪い癖として、強烈な目上の女性が苦手というのがあります。たぶん自分が7~14歳くらいのころの、義母と対立する一番きつかった時期の母親の陰をぬぐいきれていないだけなのですが、勝手に息苦しくなり消えてしまいたくなります。あくまでも勝手にこちらが気持ち悪くなることなので、もちろん動けなくなる言い訳にはできないのは当たり前のことですが、なくなったと思えばまた出てきて、あぁまだなくなっていないんだなぁと毎度毎度感じます。自分になにもなくなればこういう感じ方もしなくなるはずですので、早くそうなるようにと・・・ひとつひとつの感情が本当の自分と出会うための道しるべと、気付きのひとつ一つを大切にしていこうと今考えます。