美はすべてをつまびらかにする
身を地から引きはがすように移動してきました。自然や宇宙から引き離されたところで右往左往している、コロナだ、大雪だ、、、と、、、こんなに長い間騒いでいたらどんなに気を付けていたっていつかは濃厚接触者、罹患するに決まっているじゃないか、何のゲームなんだろうかと思ってしまいます。そうして村八分を恐れさせ疲弊させていきながら、人の元気や良い仕事をしようという気持ちをどんどんダメにしていこうとしているように見えてしまいます。家族と連絡を取り、家族や地元のためにも、自分は動いていだきへ来て本当に良かったと改めて感じます。いだきしん先生にお会いすることが一番、ダメな頭である中でも、お会いしない場合とは比較にならないくらいにそれこそ次元を超えて一番良い状態では働いている気がします。こんなコロナ騒ぎは、どんなに誠実に対応していこうとしても、こんなに長引いては、いつかは疲弊して耐えられなくなります。地元は道が斜めになるくらい雪が降り、左右は雪の壁に阻まれ狭く、汲々とした空気が蔓延し、脱出する心にも陰りが出、少し曇りが出るとそこに沢山の似たような曇りが集まり、地べたを這うようになります。そこから東京へ移動しても、東京は東京でなんともいえない落ち着かない雰囲気です。昨日応用コースへ参加させていただいて、年末年始くらいから自分の中にあった染みがきれいになっていきました。言葉にすると「今更何を構ってほしがっているの?」という感じですが、悪い状態のときは本気で「お前なんていだきへ行くべきではない人間だ」とか声がしてきます。いくべきも、いかないべきも、自分で決めることなので、本当は何もないのですが。
webサロンも書くのと書かないのはどっちが良いのかと悪い頭で考えた結果書かなかったりとかして、どちらでも良いことは自分が決めるばかりですが、今朝は書こうと決めて書き込みをさせていただく感謝に満ちています。昨日の応用コースのピアノでは、美が全てをつまびらかにし赦しを与えて下さり、魂の底から苦しみを受け入れていただいたと感じました。「美は裏切らない」と感じました。もちろんいだきからそれほど離れていたわけではありませんが、これまでと違うのは、自分の中で自分を敢えて疑い、本当にこれで良いのか、いだきへ行きさえすれば良いと勘違いしていないか、お正月くらいから毎日問いかけ、流されていないか、自分は何を感じるのか、どう生きたいのか、生きるのか、、、人との関係の中でも自分を表現しながらも相手と良い関係を築けるのか、次の課題は何かなどを考えるようになったことです。
これまでやってきた仕事のやりかたで、私は小さいころから親戚一同の中でも一番年少で、何かやろうとしたり、ちょっとでも失敗すると全部周りの大人たちが手を出してやってくれる環境だったので、大人になってからは「本当にやりたいことは(儲からなくても)全部自分でやりたい。工程のすべてを五感で味わい尽くしたい。誰にも手を出されたくない。」という願望があり、多少家族に手伝ってもらうことはあれどもほぼそのようにしてやってきました。これをそろそろ卒業して、外注するところはしたり、人との良い繋がり、お金の流れをつくっていくことが次の課題です。そのときに、人に伝えるときに、ぽや~っとしないで集中して自分の熱いエネルギーを伝えていかないと、いかに「おおいなるはたらきかけ」を感じたとしても、イメージしたものが出来上がってこなかったり、人からなめられたり、してしまうので、人にただ無難に好かれるのではなくて、自分をちゃんと出していくことの修業である毎日です。そしてそのほうが人生が楽しいです。本日コンサートへ参加させていただきます。どうもありがとうございます。