美しい高句麗伝説
高句麗伝説の翌朝、予想外でしたが頭の重みを感じました。理由は前日まであれこれと頭を巡らせていたからと認め、仕事に向かいました。高句麗伝説では、緑内障の手術で身体の中で滞っていたものを流すように演奏と詩、映像が身体に流れました。とても美しい、と感じ映像の美しさに目を見張りました。雲海のようにも海の波のようにも、龍や古代化石の生物にも、そして銀河にも見えた空間に、高麗さんの姿は天界に居る姿に見え美しい、、と感じました。また、震えるほど好きな音で表現される世界は何だろうと詩に聴き入ったところ、好太王とわかりました。昨日の演奏と映像と詩はそのまま記憶に留めて置きたいと感じるほど、美しい世界でした。時に神々のようにも龍のようにも見えた映像は、高貴な方を取り巻いていました。
子供を安心して産み育てる世界、詩を聞くたび胸に響きます。子供を持つ母として、どうしても叶えたい現実です。
高句麗伝説は不思議ですが、場面場面が切り替わり、心の中に映像が浮かびます。
アンコールの高句麗の父の詩をお聞きし、88歳になる自分の父を想いました。受講していない父ですが、去年倒れて書込みをさせて頂いてからは、まるで取り憑いていたものが取れたように穏やかになり私達と会話ができています。書込みで先生に繋がるとこれほど変わってしまうのと感じ、心から感謝申し上げます。ありがとうございます。
高句麗伝説を経験してから、自分の3歳のころ10歳の頃の気持ちは、、と考えていましたが、ふと、小学校の帰り道の交差点で、大人は勤めるより自分で商売をしないのかなと考えていたこと、アナウンサーになること、大家族を夢見ていた事を想い出していました。その夢見ていたことの一部は現実となりましたが、果たしてその頃何が芽生えていたのかと、考える日々です。
貴重な高句麗伝説を心からありがとうございます。明後日は今年始まりのアントレプレヌールサロンに参加します。ありがとうございます。