美しい言葉
東北センターの講座にてイエスキリストがお話しされていた原語をそのままお話しする御方がいらっしゃったとのお話がありました。先生はどこの国であったかと私にお尋ねになりました。私は、その時の空気、風を思い出し、グルジアと答えました。が、少し不安がありました。はっきりと覚えていなかったのです。その場面ははっきりと覚えていましたが、どこであったかの記憶が定かでなかったことに自分自身情けなさを感じていました。数年前にも講座の時に尋ねられたことを覚えています。その時ははっきりと覚えていたのです。数年経ち、何故忘れてしまったのかと嘆いてしまうのでした。先日、スタッフとこの話をし、調べました。イエスキリストがお話しされていたアラム語を話す方々は私が訪ねた国が多いことに驚きました。私の記憶では岩肌が見えた風通りの良い小さな教会の入り口を覚えていたのです。言葉の通りに見える風景はシリアでした。シリアにもアラム語の歌を歌う男の子がいると書いてありました。が、吹く風はコーカサスでした。ちょうど、グリジアの知人からライブ配信への返信が届き、お礼と共にこの件をお尋ねしました。私が訪ねた教会の写真を何枚か送ってくれました。が、残念ながら、訪ねたことは覚えていますが、探している教会ではないことだけはわかるのでした。そのまま正直に書き、メールしました。今日、最後の教会の写真が送られてきました。見た瞬間、ここ、とわかり、涙滲みました。懐かしく感じると同時に、心地よい風が吹いたのです。私がミサの後にグルジアの人と一緒に蝋燭を持ち、祈りを捧げていたことを覚えていると書かれていました。この経験により、私は先生がいつも教えてくださる「言葉はいのち」ということを改めて分かったのです。イエスキリストが使っていた原語は、聞くだけで心が癒され、澄んでいくという内容の表現を先生からお聞きしました。私はそのお話を伺うだけで心が澄み、人間となれる感覚が生まれ、とても幸せを感じます。イエスキリストが話されていたように、私達人間が生命の言葉を表現できれば、自分の生命も清められ、周りの人も心が綺麗になり。空間も美しくなるのだと見えました。内面美しく生き、美しい言葉を表現できれば、自分も周りの人も空間までも美しくなるとみえ、感動します。ずっと先生が教えてくださっていることは、根源解決であり、人間とし真っ当に生きることでありますことを改めてわかり、美しく生きることで良い世界を作っていけますことが真にありがたいことと感謝します。
エチオピアのことも気持ちのままにメールを送ると、毎日エチオピアからお便りをいただき、繋がっていることが力となっていることを感じることができ、気持ちは表現し、通じ合えることがありがたいと感じています。日付は今日となりましたが、「コーヒービジネスの成り立ち」をお話しさせていただくこともエチオピアとつながることと感じています。講演会の後、午後5時45分頃よりビデオ講演会をさせていただきます。ありがとうございます。