KEIKO KOMA Webサロン

美しい夕焼け


 書いてみると書き残したことが現れ書かせて頂きますと、びわ湖コンサート一部で見えたものは、見たこともない大きな甲冑類が地を這わず二本足で立って歩いて、またやほかの生き物も、ぞろぞろ歩いて先生のほうへ行くのです。口をあんぐりあけたくなるほどあっけにとられました。びわ湖の湖底にかつて住んでいた生き物なのか、自身に憑りついていたものなのか不明ですが、とにかく抜け出せたのでした。コンサートで見える真実は他にもありました。新しい仕事先で経験していることから、洗脳されていく根源をコンサートで見えた光景から突き留めました。「分かっていれば、はまらない」、とお聞きしていますので、真実を心の中心に、「真実はまさに生きる力」であることに、尽きます。これはわからなかったか、本音を生きていれば、頭がはたらき、自然とわかることであったに違いない、と今更言葉になり、「本音で生きることに尽きる」、と言葉生まれます。その場に真実をわかっている人がいれば、周りも洗脳させる側の思うつぼにははまらない、と感じます。びわ湖湖底に何がおこったのか、先生の迫力のある演奏から戦っている過去の時間、そして、明らかに超越した世界を経験してしまった二部の中盤、幾何学模様の世界でしたが、生命を躍動させるとてつもないエネルギーでした。こういう世界で生きることができることができたら、どうなってしまうのだろう、、先生のピアノの演奏の凄さに、超越する胸の高鳴りはこの地の空間を振動させます。

京都コンサートでは、第一部、「聖なる善」では、最初に水の流れが見え、ゾロアスターの生誕地の水かと感じました。五女山城の城壁がみえ、演奏はアリラン調になっていき、音の調べに身を沈めます。
コンサートメッセージから、「善は善のままでよし。」「身の内なる善のまま生きてみてください。」、と聞こえるままに演奏をお聞きしました。ありのままで生きていたらいい、と内に言葉になっていきました。
一部のあとの休憩に窓から京都の山の空に茜色の夕焼けがうつくしく映えているのを眺め、心が澄んでいきました。二部の「原初からの愛」の少しむずかしく考えながら原初の愛はどういう愛なのかなと感じながら演奏を聴いていましたが、ありのままにさせてくれる夕焼け空が心にみえはじめ、安心してその場にいることで、先生の愛の演奏をお聴きでき、経験できましたことは最も幸せな経験でした。福井から仕事を早引けして来れた友人と一番前の席で聴こう、となり、一番前のお席でお聞きできたこのたびの京都コンサートは、ピアノの音の重なりの微妙な音もお聞きでき、幸せいっぱいでした。最後の皆さんでする手拍子も楽しくとてもよかったです。世界中で、唯一無二の、先生と高麗さんの存在が身の内に、雅やかに、華麗に、京都の夕焼け空のようにどんどん茜色に美しく深まっていきます。世界中の人たちが、先生と高麗さんとつながりますように。次はアントレです、そして6月23日の先生のお誕生日の多賀城コンサートに向かいます。ありがとうございます。

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天生 第6弾
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京都 八坂にて
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成田空港より