美しい内面へ向かって
先日は死についての講座、そして応用コースに参加させていただきまして誠にありがとうございます。
死についての講座が始まる前から涙が勝手に出始めたことに内心驚きながらも止められず、先生にお伺いして初めて奥底の感情が溢れかえりました。自分の本当の気持ちとつながれた実感とともに、一緒に共感してくださった受講生さんに申し訳なさと嬉しさとありがたさでいっぱいになりました。ありがとうございます。
自分を卑下することが一番醜いことだとお教えいただきました。世間の枠に適合できない自分の存在を低くみていました。自分を自分で痛めつけず、大切にします。
そして、今まで与えてもらえていたことを認めず感謝せず、私は被害者だと頑なに思っていた愚かな自分、豊かでない心に氣がつきました。しっかり受けとめ感謝いたします。どこか受け取ることや受け取っていると感じることを恐れ、感謝ができませんでした。
先生から「何を見て、何を聞いているの」という問いに対し、私にはすぐに答えられるものがありませんでした。それは私が普段何も見ず聞かず、ふてくされて怠惰な気持ちで日々を過ごし、身体を重くして何もしていなかったからだと感じました。
これは「変化したくない」と感じていたからで、そこに恐怖がありました。なぜ変化することが怖いのかを紙で整理してみると、今まで得たことに対する余計な執着、結果が出せなかったらどうしようという不安、結果がついたとしても維持できなかったらどうしようというさらなる不安、自分に対して信じられず疑う氣持ち、そして今までの微々たる経験では判断や解釈できないから安心安住していたいという気持ちに辿りつきました。
さらに奥には【生きたい】という気持ちがありました。本来の自分のままに豊かに自由に生きたいのなら、現状維持は危ないことと腑に落ちました。
職場では犠牲にし合いなんとかバランスを保つことで、さも円滑に物事が進んでいるように見せかけているのも時間の問題のように感じます。嫌われたくないから、穏便に済ませたいからと上辺だけで付き合いをし、線引きをしていたのは私です。
先生をわかることは愛をわかることと、ビデオ講演会での高麗さんのお言葉がとても胸に響きました。
本日三鷹でのコンサートに参加させていただきます。代表であることを忘れず、しっかり参加致します。どうぞよろしくお願い致します。