続き
生命の内を表現していないことに気づき、再び書き込みをさせていただきます。
コンサート中に、生命の内に流れる歴史の流れが途中、切断されたり、隠されていて闇が覆いかぶさったりしている状態が見えました。やまとの歴史が正されると高句麗の歴史も明かされると見えました。その時の音はアリラン的でした。高句麗人が涙し喜ぶ光景まで見えていました。先生がおおいなる存在とひとつになり、神も日本、世界の為に先生にかかり、先生により正確に理解、受容され、表現までしていただくことによりやまとの歴史、日本の歴史が紐解かれていくコンサートのはたらきの凄さに神を見ます。そして高句麗の歴史まで明かされ、正されていくとは。。。胸の内で咽び泣く魂の存在をたくさん感じました。先生がなさってくださることにより、日本、アジア、世界まで救済されていく道が見え、魂震えます。先祖を代表し、御礼を表すことが生きることと生まれる気持ちはやはり自分一人ではなく、先祖を代表しているのです。生命の内に流れる高句麗の歴史、日本に亡命し、日本で生きてきた歴史が見え、分断された箇所が見え、まもなくつながっていく道が見える時、ただならぬ経験をさせていただくこの人生とは。。。と驚き、畏れ入るのです。体感的に時代の変わり目の一大事を経験したと感じたことの意味がわかってくるのです。毎回のコンサートで紐解かれる歴史から生きる力が生まれます。ありがとうございます。