経験したことを表現
東京では年初めに、やはり表現がはじまりと考え、ビデオ講演会サロンをさせていただきました。年末の3回もの「高句麗伝説」の経験、その前の2回の迎賓館コンサート、年明けのお餅つき、ピアノコンサート、存在論と経験し、表現しないことでは先を作っていけないことを昨日の道中に先生から改めてお話しいただき、どんな時も表現し、先を創ることが大切と考えます。表現する人は人の話も聞けるということはいつも経験させていただくことであります。ましてや人類史上初めての奇跡の経験をしています。表現せずして何をわかっていけるでしょうか。私も時間を気にせずに、色々と経験したことをとりとめもなく表現させていただくうちに、より深く考えはじめ、真にこれからが楽しみになってきました。今年は毎日表現をし前進することを心に生きていきます。
2日の京都コンサートにて今年の抱負も目標も実現できるように表現させていただきます、とのメッセージをいただき、夢のようと感じ、心よりうれしくありがたく先生の演奏を聴かせていただきました。長い間、お腹の底に隠していることがあることは自覚していても何を隠しているかはわからずに生きてきました。この事は子供の頃より自覚していることでした。先生にお会いした時、隠し子がいるのか、と尋ねられ、驚きながらも本当にどこかにいるのかもしれないと、自分では経験したことがなくても、自分の記憶や経験だけが真とは限らないと感じるある何かがあるのでした。その感覚を、自分の代だけではなく、先祖代々隠してきたこととお話しさせていただいたのだと感じています。昨年10月12日に仙台勝山館での講演会の時に、裏側にあった気持ちを表現した時のことを質問された時に私はそう答えていたとボランテイアの方から今日のサロンでお聞きし、京都コンサートの時の経験を考えるのです。コンサートの時に、裏側の道が作られると図形で見えたのです。裏側は、お腹の底から一筋の道となり現れていたのです。私はこの道をロシアへの道と受け止めたのでした。勝山館の講演会にてお話ししたことも、先生の存在が全面にあらわれたら、隠してきたものが突然あらわれたと表現し、ロシアへの道が見えたことをお話ししていたのでした。高句麗滅亡後に王族は日本とロシアに亡命し、高句麗遺民は日本とロシアによりいないことが記されている本もみつけました。長い間、東アジアがひとつになる道を創りたく、高句麗の地があった中国、北朝鮮、韓国がひとつになることを願い、コンサートを開催したく、道をみつけてきました。韓国では先生のピアノコンサートを、中国では高句麗伝説コンサートを開催できても、道は困難ばかりであります。高句麗の地に暮らす人々に高句麗の子孫ですか、と尋ねても、朝鮮人であるという答えばかりが返ってきます。それも祖父の代からこの地に移り住んだとのことですので、高句麗とは縁がない人々が住んでいるのです。遺民は日本とロシアにいるという事を以前から知っていても、10月12日の講演会の時に、初めて体に入ってくるように合点がいってから、私の内の裏側に秘めていた気持ちが現れはじめたのです。京都コンサートにては明らかに裏側に秘めていた気持ちがあらわれ、大変驚きながらも受け止めました。その後の毎夜書き記す生命の詩は裏があらわる光景ばかりが見えるのです。この事の意味がわかりたく、とりとめもなくお話しさせていただいたサロンでした。ありがたいことに表現すると現象となり現れ、気持ちが実現していくことを、先生にお会いしてからずっと経験させていただいています。今日の表現がはじまりとなりやがて現象を通して裏と表現することの意味がわかる時が来ると感じています。今日も琵琶湖、京都、奈良での「高句麗伝説」での経験を皆で語り合ううちに、見えなかったことが見え、気づかなかったことに気づけました。表現することは曖昧なことやわからないことがはっきりと見えはじめ、わかっていける経験となります。人類史上初めての経験をさせていただいていますので、表現せずしてはわかることもないとも深くわかる経験となりました。
今日となりましたが、年はじめのアントレプレヌールサロンがありますことはとてもうれしく、今から胸が高鳴ります。今年は天命実現、真の自分を実現、悲願実現、世界の平和実現へとただ向かうと決めています。ありがとうございます。