終わりなき生命
今、帰宅して高句麗伝説を聞いた先生焙煎のグジコーヒーを入れて頂きながら書き込んでいます。
二日間の高句麗伝説は、一回が一部のようで二日間でひとつのようです。何を書いても感想の域を出ないので自分の言葉は本当に無力だと。先生の音を言葉にする高麗さんの言葉は空間を変え、時空も超えて、世界、宇宙まで変えてしまう働きがあるのでしょうか。私には計り知れませんが体感は確かに感じています。これを経験して変わらないことがあるでしょうか。
と思う暇なく、成田からのメッセージです。
自分の弱点がうきぼりとなり、現象となった道中でした。それでもそんなちっぽけな人間の意識など銀河の星屑のように宇宙の風と共に引き揚げていただきました。
昨日井の頭公園の動物園を散策しました。丁寧に展示ケージの中の動物やきれいな鳥、名前は見たことがあるけど初めて見る物は新鮮でした。よく手入れや管理がされています。大きなカラスが檻に入らず自由に飛び回っていました。その時、檻の中の動物や白鳥などの鳥を見てどこかで見たような、と思ったら、施設にいる老人の姿とかぶります。誤解を恐れず書いています。動物園にも「ひと」とかいて大きな鏡が置いてあります。
動物園の動物は世話や手入れや研究が行き届いていて、餌を自分で探すという動物の本来の姿とは違う姿を見ています。カラスや鳩は自由ですが自分で餌を探して日々生きていかねばなりません。人間の尊厳は、と考えたら食べ物や快適な暮らしを与えられているだけではないかもしれません。そこには大きなあきらめと悲哀があります。私は多少翼が折れてはいますが、自由に宇宙の果てまでも行けるような経験をしています。コンサートや高句麗伝説で。自分で餌を見つけることも動いて行くこともたやすくはありませんがもう後戻りはできないのです。はかり知れない素晴らしい経験を知ったから。
三鷹図書館でプーシキンに少し触れました。彼の祖母はエチオピアの血を引いているとのこと、皆つながっているのですね。
餌を探して、いえ宇宙に旅するためにすることはたくさんあります。グジコーヒーの封を切ったら初めてのようにかぐわしい花の香りが広がって以前いただいたグジコーヒーとはまた別のものでした。
ありがとうございます、
西川 久美子