素晴らしい時間を共にできた喜び
昨日は初めてウクライナの方のお料理を楽しむ会に参加させて頂きました。お料理も楽しみにでしたがウクライナの方と時間を共にできることが楽しみでした。途中で用事があったので少し早めに出ましたらかなり早く着いてしまい、早く着きすぎるのも失礼だよね…,と思いつつ時間を潰せる場所もなく、やっぱり早く行きたくてウキウキしながら高麗屋さんに着きました。お料理を楽しむ会の前にビデオ講演会をしてくださることになり、そんな気がしてたので嬉しくなりました。ビデオ講演会を現地で聞かせて頂くのは久しぶりでしたので高麗さんの真ん前に座り聞かせて頂きました。
ビデオ講演会の後、ウクライナのお料理を頂きましたが、私が知っているウクライナのお料理はボルシチとか、キエフカツレツなど濃厚なお料理でしたので香り高きお野菜のお料理にびっくりもしましたし、香りのあるハーブ系のお野菜やオリーブなど自分が大好きな香りとお味にとても楽しく美味しく頂きました。途中でウクライナのお祭り(何度もお聞きしたのにお祭りの名前忘れましたが…)やその時に歌う歌の映像を見せて頂いた時になんて素敵なお祭りなんだろうと感じました。若い方から年齢重ねた方までが一つになり、踊り、楽しんでおられました。民族性に溢れ、若い女性の方が綺麗なお花の冠を流してパートナーと幸せになれるかを占ったりするお姿は真剣でどなたもが本当に心から冠を川に流していました。ふと、日本でも古くから行われてきたお祭りはたくさんあるけれど、形ばかりでみんなが真剣に心から参加しているようなお祭りはあまりないように感じます。お料理や食に興味のある自分はこういうところで出されるお料理はきっと美味しいのだろうなと考えたりしました。もう一つふと思い出したことが、自分は3〜4歳の頃おままごとをする時になぜか、森があって森が終わるところからはハーブなどのお花がたくさん咲いている草原が広がっていて、小川が流れているようなところにいる映像が見えていてそういう小川のそばでおままごとをしたいようなそういうところで暮らしたいと感じているようなところがありました。もう少し後で北欧とか、ロシアなどの絵本を読んだ時にそうそうこんなところと感じることがありました。ウクライナの映像をみていると刺繍を施した民族衣装も、お祭りをしている場所の自然もなぜか懐かしいようななんとも言えない気持ちになり、不思議だなと感じました。そしてウクライナの方からお聞きした自分の中にウクライナがあり…というお話しになんて素敵なのでしょうと感じ、若い方でも内面のことを当たり前に話されるのだと感じました。日本人にはこのようなことを語る人は本当に少ないと感じ、恥ずかしくもあり、当たり前にあるべき内面性が失われていることになんとかしなければと感じました。とても声量のあるお声で楽しく歌ってくださる中に悲しみがあり涙される時、何ができるか考えました。高麗さんが仰るように本当の支援とは自律できるように支援することであること、本当ですよねと感じます。それは自分の普段の生活でも言えることと感じました。とても貴重な時間を過ごさせて頂き、ウクライナの方達ともお話ができ、素晴らしい時間をありがとうございました。明日はいよいよ狛江での高句麗伝説コンサートです。本当にわからなければ生きていけない時代と毎日感じるこの時に他にはない乗り越えるためのコンサートです。どうぞ宜しくお願い致します。