精確
元気いっぱいでやってきたここ数年から、俗的にいえば「ツケの回収をするとき」を迎えてしまいました。俗でない言葉で表現すると、「己のしてきたことが浮き彫りになる。」さらに言えば自己の嘘を嘘と気付けるには、それなりの経験と行動が必要ですが、それまでたいした行動も経験も積んでこなかった自分は嘘を嘘とも気が付かないまま、やってきてしまったということです。ただしこの嘘に気付くためにはこれまでの経験もすべて必要だったという矛盾もはらんでいます。
精確にものごとをするためには無駄なものをたくさん棄てなければいけないと、、、向かったこともない己の局面に立ち、痛む体をひきずりながらお聞きしましたオンデマンド配信。痛む体は自業自得ですがとても悲しく、このまま精確さを欠いて走っていては、人のことまでも、どこまでも同じように痛めるのだと身の毛がよだち、ようやく立ち止まることが出来ました。そうだ、これは付け加えないといけないのですが感受性が良いために体を痛めているとかそういうことではなく、原因のわかっている痛みです。あぶなかった、またこうしてうっかり、嘘ではないですがなんだかかっこよさげな風にして、美しいように丸め込んでしまうところでした。私の精確でないところです。
いだきで生きること、自分のペースで生きることはだれも待ってはいられず、「先駆けたい」と望んだ時に先駆けられる自分である状態は、濁らせてはいけないもので、、、言い訳も言い逃れもせずに、ただ事実と真実があることを受け止めて生きるためには、守っていかなければいけない状態です。
「ほんとうは、ああしたかった、こうしたかった」と後から言わないように、完璧でなくとも悔いなく、精密に確実に、内面に問いかけて、、、読んでいただいて、ありがとうございます。