答えが生まれる
今日も、昨日の渋谷での重厚で深いピアノの音がずっと鳴り続けていました。歴史が変わるという大変な場面に居合わせた体感があります。先生が生命賭け、人や世界中の重荷や苦しみを身に受け、解放、解決の為の表現をしていただいていますことをよくわからねば人間ではなくなると感じる今日でした。昨日のコンサートで、ずっと人類の裏となり支え続けてくださっている先生の存在をわからねば今後は生きていけないと見えたことが今日になると、背中にずっと見えたことがありました。自分一人で生きている訳ではなく、勝手に生きていくことは人間ではないと身に染み感じます。よくわかり、人間となることは今日も心がけ、三鷹でのコンサートに臨みました。
第一部「聖域 Sanctuary」
「聖域のない経験は影でしかない」 [ショシャナ・ズボフ]
「聖域といえば、宗教的な神聖な場所というイメージがわくでしょう。多くの人類学者はこの聖域という概念は非常に普遍的なことであることに気づきました。古典的な世界では、もちろんすべての寺院ではありませんが、寺院は犯罪者や暴走した奴隷に聖域を提供していました。ご存知のように現代は移民運動とか活動は主に知られています。今回の「聖域のない経験は影でしかない」というのは、古代から連綿と現代までつながっている生命の尊厳はもとより、誰もが生きる、それも健康で幸せに生きる権利を有するところに通じます。幸せにいきることは影であるはずもありません。我々は「聖域のない経験は影でしかない」ということを肝に命じて、国際社会を生き延びることが肝要です。」
ピアノの音から見える図形は、様々な世界や事柄が複雑に絡み合い、交差しながらも、全てがひとつである世界でした。幾何学模様のように見えたり、イランのモスクで見た天井の模様のようにも見え、私はこの模様をどのように読解できるかと知識がないことを残念に感じましたが、感じることが手がかりと気づき、音から感じるままを受け止めていきました。昨日の音も聴いたことのない音でしたが、今日も聴いたことのない、また、見たことのない図形が見え、初めての経験をどのように表現し、わかればよいかを考えてしまうのです。その度に感じるままにと仕切り直し、聴かせていただきました。メッセージの意味も考え続けました。ある音が体に入り、突然、子宮に聖なる光が灯りました。同時に「Sanctuary」と呟いていました。この単語を意識していた訳ではなく、日本語で聖域という言葉を意識し、お聴きしていましたので、突然英語でつぶやく経験に驚きました。体の中に聖域があるのなら、どこへ行っても生きていけると安堵したのです。体の中にある光を感じながらずっとピアノの音を聴かせていただき、光満ちる経験のままに聴かせていただきました。今日は難解なことに取り組んでいる感覚となるのです。わからねばならないと意識過剰にもなります。難解な図形をどのように理解するか、先生の音を正しく理解したいと望み、ねばならぬと気負ってしまいます。哲学を学んでいればわかったかもしれないと考えてしまう程に、今日は感じるままではいけないと考えてしまうのでした。が、感じることから始まりました。
第2部「自由.自律」
「自由は確かなことをわかることがその一歩です。確かなことをわからずに、自由はありません。単純に感情的に反応しているだけでは自由の何であるかということはわかりません。ただし、ありのままの感情は確かな手がかりを得る機会になります。不確かなことの中では、自由はありません。自由を得て、自律は生きる上での基本として我々にいのちの内にあることがありのままにわかります。言うまでもありませんが、「愛」の根源であります。」
2部のメッセージに一部での経験の答えを得たようで、少し安心しました。今日の演奏は今までのように感覚だけで捉えたり音から見える図形だけで捉えてはいけないと感じる図形が見えていたのです。暗号を解いていくような感覚でした。が、私には暗号を解いていく為に必要な知識がないと気づき、何を手がかりとし考えていくかと必死でした。「ありのままの感情は確かな手がかりを得る機会になります」とのことに希望の光を見ました。ありのままの感情は、世界の危機を感じ、それも人類史上あり得ない危機にあり、人類の存亡がかかっている時代に生まれ、生き、先生に出会い、解決の術を知りながら、この様であることは申し訳なく、もっと能力をあげ、危機にある時代を乗り越え、平和な世界を作っていきたい気持ちでいっぱいです。その為に、誰に会い、先生のことをお伝えするか、どのような動き方をすれば良いのかで頭の中はいっぱいでした。ここには答えはなく、先生の音をお聴きすると同時に、頭に光が見え、光を追っていくと、答えが見えてきたのです。思わずうれしくて笑いが込み上げました。自分では解読できなかった音から見える図形は、見えている故に、意味がわかりませんでしたが、生命の内と一体となると生命の内から知恵が生まれてきたのです。先生の音を聴けば、全ての答えは生まれるとわかりました。ここに全ての答えがあるとわかり、コンサートの場に身を置き、先生の表現をお聴きすることで生命の内にある知恵が目覚めます。生命の内は知恵の宝庫と感じます。今でもあの音は。。。と音が意味することの答えを考えます。一音でありながら、見える図形は多層であり、多次元であり、それらが交わりながら、均整の取れたある空間が作られていくのです。世界中の神々が休みなくはたらいてくださっている光景が見え、申し訳ないのとありがたいことに頭が下がります。一気に神々とあらゆる存在と共に上昇していける時、宇宙へと飛び立ったようで、何の境も限界もないひろい世界に飛翔していける喜びがあふれます。素晴らしい経験をさせていただければいただく程に何かしなければいけないと、この経験を世界中の人にお伝えせねばならない気持ちになるのです。先生ははるか彼方の世界を一音で表現してくださっているのかと、あの音は。。。と見えた図形と共に体の中で鳴っている音を考えることは続きます。大変難解であり、意味深い経験をさせていただき、全ての答えがでたことは大変うれしいことでした。ずっと考え続けてきたことですので、やっと突き進んでいけます。ありがとうございます。