KEIKO KOMA Webサロン


私の生きる目的は
「自分を分かってもらう」ことでした。

あまりに怖くて
自分では気づけなかったことです。

けれど
「分かってもらおうとしない」
そうしてはじめて
その結果が起こる可能性が生まれることが分かり

思わず 笑ってしまいました。

相撲甚句の「弘法大師」に
「笑」ということについて語られています。
この時の笑いと、とても近しい感覚を覚えました。

同じ出来事ではありませんが
通過の過程に
近いものを感じたという意味です。

笑えないほどの絶望のなか
帰れないかもしれない地へ向かい
荒波を越え
触れたものは

教えではなく
言葉になる前の遭遇
通過したために
もう同じ時間には戻れない
その感覚を持ち帰った

伝えようとしても
通過していないところには届かず
言葉にしていることは
もう過ぎていること

だから残すことは
遠ざかることと分かり
場に残った
言葉ではなく
生命の記憶として残った

そして
伝わりきらず
あまりの悲しみに耐えがたく
見ていられない善意が型を生み
守ることで
目的がすり替わっていく

底にはあり続けているのに
覆い被さるものがあり
言葉にならない悲しみが沈み
現れないまま、恨みが染みついた

こうした情景や流れが見えました。

共感や想像というより、身体に立ち上がった感覚として見えました。

京都に滞在したときの感覚と
今日この相撲甚句に触れたことで
言葉になりきらなかったものが合わさり、浮かび上がりました。

私の心象風景として
残しておきたいと思いました。

現実的に直面していることは
内面に起きた流れのまま
選択せざるを得ない日々が続き
そのたびに染み込んだ感覚と違和し
倒れることを繰り返しています。

東京に戻り
先生の音で
かろうじて保っています。

そして、
相撲甚句の音に感じたこと

それは、
高音が天へ向かって放たれ
低音が大地へ戻り
自分の懐へ返ってくる

それを行き来し
循環していく節回しに安堵します。

日本の風土や文化の中でつながれてきた
生命を思い出させる音や自然に
静かに応答していきたいと感じています。

身体に響く流れそのものが
生命の応援歌のように感じられます。

どのように感謝を表せばいいのかわかりませんが、
本当に、ありがとうございます。

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