立春の導き
2/4京都コンサート
一部
ピアノの音に集中していくと頑固な頭により決まりきった思考の枠から広大な外へ飛びだし、求めている本音に出会う。
縁ある魂に導かれてその土地で活動する今までのことを振り返ると朗らかに自身を活かしフローに生きた幸せ、何かをしているその土地と同化する生命の深奥には未来に通ずる鍵があると見える。
一部で生まれたことを心にいだきこれからを生きてみる。
二部
コンサートが近づき、あるやりたかったことをふっとやった瞬間、疎外、と言葉が生まれ、瞬時に分かり目から鱗が落ちるようでした
自身もいだき講座により、疎外から解放して頂き、あのような苦しい疎外エネルギーから人々が解放され、尊い生命をなくすことなく、幸せにいきいき輝き生きていける状態を身につけられるいだき講座、コンサートのはたらきを多くの人につたえたい気持ちがありありと生まれます。自分だけ良ければいいといった思考ではそのまま成長も発展もない人生となり、これら尊い活動の中では、くすぶる埃やチリとなり美しい生命の人たちに覆いかぶさり世界平和に向うプロセスの速度が落ちてしまいます。私は世界を変えたい気持ちがあるのに、それに反するような意識がチラチラ介在し、どう生きたら世界のためになるか、内面がきれいになっていくと瞬時にわかっていく頭のはたらきを得ました。何にシフトして生きるかといった二者択一を経験し、大いなる存在とひとつに生きるという真を生命感覚で掴む二部でした。内面感覚により、真がはっきりと分かりこれなくしては光ある道を外し、ゆくゆくは自他を傷つける恐るべし結果となるのでしょう。結果は、大いなる存在とつながり生きればいいということ。見た目にとられていく世間に染まることなく、コンサートで分かった真とこれからの新しい道を生きる指針とすること。言うのは優しく行うは難しというが、飛躍から世俗にもどらないようにして、京都コンサートの経験を忘れなければいいのです。
二部では直前に決めたことの一切が消去となる理解が施され、愕然となります。そうして、達成不可能と生まれた目標は実はこれだった、とわかりました。今までも分かっていましたが、何処かですり替え逃げていました。真を認めるよりなく分かったあとのピアノ演奏は、分かった命の胸の高鳴りがそのままピアノの音となり、世界へ響く調べとなっていったように美しく美しく聴こえました。真が分かったとき頭は愕然としていましたが、命は喜びよりないことを知っています。自身の人生をおもうとき、導いてくれる風があり、一人でやるのではなく、先祖も神々もすべてが応援してくれていることを心にし、それに乗り向かっていけばいい、新しい時代をつくる生命に感謝よりないのです。書き込みしないとつぎつぎ色々なものが来ます。自身が元気に生きていくためによい経験を印すためにも、やっとここに書き込みさせて頂きます。
ありがとうございます。