空間の横軸現われ
いだきしん先生は私のことを歴史の縦軸と表現してくださり、先生は空間の横軸と表現されました。縦軸と横軸が交差するど真ん中に身を置く経験が「高句麗伝説」です。いだきに出会い縦軸と横軸が交差するど真ん中で生きる一人一人はどう生き、何をするのかとは「高句麗伝説」を開催するようになってから共に動く方々に問うてきたことです。また、はじめの頃、先生は「高句麗伝説」説明会を開いてくださいました。その時に記したノートには先生のお言葉で「人間は歴史の縦軸に会わないと人間にはなれない」と記されていました。歴史の縦軸は今までの「高句麗伝説」にて見えていました。空間の横軸は今日の「高句麗伝説」にてはっきりと見えました。横軸を表す言葉をみつけることは至難の業でした。永遠であり、永遠の今であり、生命ひとつであり、全体であり、とにかく全ての生命ある存在はひとつにつながっているのです。横軸が見えるように鮮明に現れた今、何もかも変わるのだということだけは生命をもってわかります。やっと時が来たのです。そして時代は完全に何もかもがひっくり返るが如くに変わるのです。
今まで見ることもなかった存在、感じることもなかった生き物の気配、聞こえることのなかった音。。。身動きできなった神、動くことも、語ることもなかった神。。。山、森、木に宿る神、神の鳥あらわれ、真に知ることのなかった世界が拓かれていました。人間が生きてきた世界はほんのちっぽけな狭い世界に閉じ込められてきたと見えます。何の境も枠もない天の更に向こうまで拓かれた無限な世界で生きる生命を経験します。私には今も尚、動くことのなかった神が動いた時の衝撃、驚きがあり続けます。動くことのなかった神がほんの一ミリもない動きであったとしても、地球が変わる程のことが起こると見えたのです。少しづつ少しづつ動き始めた時には、武者震いでは済まない、今まで経験したことのない畏れを感じ、背筋が動くような衝撃を受けました。が、衝撃と言う言葉を使ってはみても今まで受けた衝撃は強く、胸が打たれたように、打撃を受ける衝撃でしたが、今日は静かでありながら、何もかも変わってしまう、根底から物事を変えてしまう動きを感じる、在る何かなのです。私はこの経験も衝撃を受けたようだと感じているのです。昨日の「存在論」でも胸の内に大きな穴が開いたような衝撃を受けました。先生のお話をお聞きしながら、現代人は、最も大切な魂、精神を失っていることを我が身をもってわかるという衝撃を受けました。国は滅ぶよりないと見えたこともショックなことでした。そして三島由紀夫さんの自決された日の衝撃とショックが思い出されたのです。直接関係しなくても、人生変わる程の衝撃であったことを思い出したのです。この衝撃は日本全体の未来が掛かっていた衝撃なのだと昨日の先生のお話により確認できたのです。危機にある今、動かぬ神が動き始めるその動きこそ世界を変え、この世を変えるとわかります。過去を思い出した時、とにかく先生に出会えて良かったとそれよりないのです。終わり行く世にあり、先生がずっと伝え続けてくださること、そのはたらきがなければ、生きていく事などできようがないのです。それも日本、世界全体、人類全体をも生きていくことができない状況にある今この時に先生に出会えているのです。危機を乗り越え、生きる世界を創っていくことより生き延びることはできないのです。
「高句麗伝説」は地球、宇宙までも伝播すると見えた時、畏れ多く、夢を見ているように感じ、宇宙全体に鳴り響く音の中に身を置く体感があり、自由を感じます。全て在るこの世界で生きてこそ、新しい人類史を刻んでいけるのです。全身全霊で取り組んでいます。皆で美しく生き、世界、地球、宇宙にまで伝播する表現の場を創っていけますことを願います。ありがとうございます。