空間にたなびく存在
杉並公会堂コンサート2日目に参加させて頂きました。昨夜はノートに書き連ね、いつの間にか寝入ってしまいました。一部の「自己を超えて」は、ドキンと胸に突き刺さります。まさにコンサート前に経験していたことです。
限界まで行き、何もかも放り出して、捨て身になったとき、自由を得ました。生きていることに感謝しました。一部では、本当に上も下も右も左もわからないような空間に回転するように存在し、確かに何かを経験しているおぼろげなことが頭を掠めるのですが、思い出せません。見えたのは、亡くなったと仮定する彼が現れ、スクッと立ってこっちをみて笑っている姿でした。コンサート終了後、彼の魂は、おおいなる存在に抱かれたのだ、とホッとしたのです。そして、やっぱり、亡くなったのだと、確信するのです。
思えば若きし青春時代からの出会でした。仕事を作り、一緒にやっていたこと、数えきれない思い出が吹き出すように現れます。死とは何なのか、多次元同時存在を経験しているので、あのような世界にこれからもずっと生きていくのだと考えると、いくらか心が休まり、世間一般の死に対する悲しみとはまったく異なる真実を知っている私は救われます。メッセージにありました、言葉の壁は、どこへ行っても人との関係においてずっと感じていたことで、幼い頃からやってきた音楽の世界でいくらか救われました。何が問題なのかも言葉に上がらず、導かれるまま、あるコミュニケーションのセミナーに入りマスターを取るまで勉強しましたが、愛という言葉は一切出ず、そこでは問題は解決せず、持ち越したまま、先生のコンサート、いだき講座に出会い、長年の問題が解決される道をいただきました。
言語の壁を乗り越えられる一部だったとは、驚きです。そして、これからが楽しみです。もう会うことはない何年も前のセミナーの友人たちにコンサート、講座のことを伝えたい気持ちです。
また、一部ではこれから出会う魂を未来に感じ、まさに、先生のコンサートは未来を創造するものであるのだ、と心が震えます。
二部では、一部で頭が痛くなってしまったので、ジンジンする痛い頭を抱え、頭が痛くならない愛を経験で来るのか···と、メッセージをお聞きし、笑ってしまいました。
アンコールではフリフリのオレンジ色の自由自在の存在が現れ、空間に縦にゆらゆらたなびく様は胸を高揚させていき、次第に恍惚状態となり、息はしていないようになります。空のような状態でありました。私はこのようなとき、存在が抱かれている気持ちです。真の愛と言葉は生まれます。
ありがとうございます。